商品コード: ISBN978-4-7603-0395-3

第3巻 江戸幕府編纂物篇 【1】/祠部職掌類聚 地方凡例録:完全原典版

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第3巻 江戸幕府編纂物篇 【1】/祠部職掌類聚 地方凡例録:完全原典版(原文・解読・解説・索引 篇)解読文と原文を併載。
江戸時代の農村の基本的な支配政策要項となった本書を研究に十全に活用できるように編纂した。この「青山文庫所蔵本」が最初に記された原典(全十巻)であることを実証する

解説 ∧定本∨青山会文庫所蔵『祠部職掌類聚雑纂 地方凡例録』翻刻

はじめに 
『地方凡例録』は「地方書」即ち田制や税制を始めとする農政全般に亘る手引書として高名であり、寛政六年(一七九四)に高崎藩郡奉行の大石久敬により著されたとされている。近世や明治初期には代官所役人や属吏、村役人、地方官などが利用し、現在でも地方(じかた)研究者は、歴史家に限らず、大石慎三郎が校訂した書B1を紐解くことが少なくない。
暫く前に丹波篠山で「発見」されここに翻刻する版は、坊間の『地方凡例録』に比べて内容に著しい相違が見られる。そのため本解説では以下の諸筆写本、諸版本並びに研究史の検討を通して当該書の歴史的変遷を辿りたい。その過程で丹波篠山青山会文庫B2「祠部職掌類聚雑纂」の中の一図書『祠部職掌類聚雑纂 地方凡例録』(以下∧青山本∨B3と略)の特質と論拠、結論を先取りすれば、
  ∧青山本∨は著作された時点での∧原本∨ではないが、書写年を確認もしくは推定しうる伝本の内で最も古く、伝写回数も少なく、しかも幕府役職者から借用し篠山藩の右筆によって忠実に書写された本として本文は正確性に富んでいる。その上今回の校閲を経ることによって、∧原本∨に最も近く復元された∧定本∨と言える
を考察したい。

Ⅰ 本解説で採り上げる諸本
一 筆写本
 『地方凡例録』は幕末維新期に版本が印行されたが、それまでは筆写本で流布した。欠本、要約本や抜粋本を除いた完本かつ流布本を見ると、本文の構成は多様であるが、管見の限りでは巻数の上で以下の四つに大別できるように思われる。

  巻数     本解説で採り上げる諸本
∧十巻本∨    ∧青山本∨∧神宮本∨。
∧十一巻本∨   多くの筆写本があるがここでは∧静嘉堂本∨について論じたい。他
に∧十一巻本∨を底本として編纂された本として『増補地方凡例録』、抜粋本や寄本を採り上げたい。
∧十二巻本∨   ∧法政本∨∧東毛本∨。
 ∧十三巻本∨   『地方凡成録』。

二 版本
 版本は以下が上梓された。これらは出版者に特異点があるため、巻数ではなくそれ別に検討したい。発行順に
① ∧大倉本∨ 大石久敬著『校正地方凡例録』(觀古堂 慶応二年(一八六六))、以下∧觀古堂版∨と略すことがある。大石久敬著『校正地方凡例録』(大倉儀 慶応二年)、以下∧私家版∨と略すことがある。共に十一巻十一冊。
 ② ∧橋爪本∨ 大石久敬著述 橋爪貫一校正『校正地方凡例録』(東京 清華園蔵版 明治二年(一八六九))六巻十二冊は抜粋本であるため、本解説での検討対象としないが、後に略述したい。
③ ∧東條本∨ 大石猪十郎久敬著述 大石信敬補正 東條琴臺[改正補訂]『改正補訂地方凡例録』(高崎 見山楼蔵版 明治四年(一八七一))十巻二十冊。
戦前および近年の翻刻版には以下がある。∧原本∨の所在が不明であるため、底本は区々である。
① ∧瀧本本∨ 『地方凡例録』(東京 日本経済叢書刊行会 一九一六 (日本経済叢書 三一))、以下『叢書』と略。『地方凡例録』(東京 啓明社 一九三〇 (日本経済大典 四三) 十一巻一冊(明治文献から一九七〇年復刻)、以下『大典』と略。底本は同一の∧大倉本∨。
② ∧大石慎三郎本∨ 大石久敬原著 大石信敬補訂 大石慎三郎校訂『地方凡例録』(東京 近藤出版社 一九六九 (日本史料選書 一、四) 十巻二冊(東京堂から一九九五年復刻)。底本は∧東條本∨。
三 研究史
 『地方凡例録』に関する主要な研究もしくは解題には以下がある。
① 大石慎三郎∧大石慎三郎本∨「解題」。
② 朴花珍「『地方凡例録』の諸異本について」(『史学雑誌』九七(二) 一九八八、二)以下「朴論文」と略。
なお大石久敬作と言われている「上表」および「地方凡例録跋」「地方凡例録跋文追加」の典拠は以下の翻刻を典拠にしている。
 ① 上表 朴論文 六一頁。
 ②二つの跋文 ∧大石慎三郎本∨下 三二九~三三一頁。

Ⅱ 考察
一 諸筆写本
一‐一 ∧十巻本∨
① ∧青山本∨
①‐一 ∧青山本∨の構成
本書で翻刻した∧青山本∨は十巻十冊で構成された袋綴の美濃判本である。『地方凡例録』の多くの筆写本に見られる上表、序文、跋文、完成もしくは書写の年月日や著者についての記述はない。この様に他の筆写本と比較すると最も簡素な構成をしていることは∧青山本∨の際立った特徴といえよう。題簽は「祠部職掌類聚地方凡例録」(旁点長谷)であり、「地方凡例録」は副題である。各巻の一丁おもてに内題「地方凡例録」が書記されている。青山文庫には三セット(部)あり、請求記号の上では「祠部‐八八」「祠部‐八八A」「祠部‐八八B」である。『地方凡例録』を含む資料群である青山会文庫「祠部職掌類聚雑纂」(後に詳述)のうちで、副本がある資料は他にない。この内「祠部‐八八B」は地方凡例録惣目録を含む一方で二巻目を欠いている。そのため影印した資料は最も保存状態が良く欠本がない「祠部‐八八A」の一セットである。三部は各巻とも若干の丁数の違いがあるが、内容は同一である。他に文庫には「祠部職掌類聚雑纂」に属さない∧十一巻本∨が二部と端本が一冊ある。
上述のように上表、序文、跋文、完成もしくは書写の年月日等がないため、∧青山本∨の特性を理解するためにはこれらに依らずに、資料群の形成過程と本文についての分析に基づいた判断による総合的かつ客観的な把握が求められると思われる。
①‐二 「祠部職掌類聚雑纂」の編纂と『地方凡例録』の完成
ここで∧青山本∨を含む資料群である「祠部職掌類聚雑纂」について、その表題の意味を考えてみると、「祠部」とは、『大漢和辞典』によれば
官名。三国、魏の尚書に祠部あり、禮制を掌り、歴代之に因る。北周始めて禮部と改め、隋唐は別に祠部曹を置き、禮部に属し、専ら祠祀・天文・漏刻・国忌・廟諱・卜祝・医薬及び僧尼の簿籍を掌る。明、祠祭司と改む。(以下用例略) B4
とある。「祠部」が属した「禮部」の「禮」の意味の一つに
国家の法制。[左氏、荘、二十三]夫禮所二以整一レ民也。[説苑、修文] 禮者所二以御一レ民  
也B5
がある。幕藩制国家における寺社奉行の職掌は「邦内ノ寺社、遠国ノ訴訟ヲ掌ル」B6のであるが、従来の研究を参照しても、司法は寺社奉行の重要な任務の一つであったB7。
「祠部職掌類聚雑纂」の原編纂者である高崎藩主大河内輝和は天明四年(一七八四)四月二六日から寛政十年(一七九八)十二月八日まで寺社奉行の任にあったB8。静嘉堂文庫現蔵で大河内家旧蔵「祠部職掌雑纂總目録」B9によれば、退任する前の「寛政八年歳在丙辰夏六月」編纂が一応完了B10したとされている。一群の書籍や文書の掲載年代(本解説では年紀と表現)を見ると、慶長五年(一六〇〇)から寛政八年まででありB11、寺社奉行の業務を遂行するに当たって必要な書籍や文書について、家蔵のもの、幕府の譜代大名から借用書写したもの、諸寺社から提出させたもので構成されB12、「一千巻」B13に及ぶ立法、司法、行政の「内政」に関する編纂物と言えよう。同文庫には「祠部職掌類聚」の目録は残存しない。「類聚」と「雑纂」の違いは、一般に前者が正編、後者が補遺と推察されるが、「祠部職掌類聚雑纂」資料群の全体像は不明である。
一方、先の静嘉堂「祠部職掌雑纂總目録」によれば、その中の一タイトルであり本書が扱う『地方凡例禄(ママ)』は「拾壱冊」B14とある。同文庫には当該書の現物が散逸しているため、この冊数は一冊の総目録を含んだ数であるか否かは不明である。当該書は高崎藩郡奉行大石猪十郎久敬によって寛政六年(一七九四)十一月に一応完成し、同年に彼は七十歳で死去したとされているB15。繰り返すが∧青山本∨ではこの事は判明しない。
①‐三 青山会文庫「祠部職掌類聚雑纂」と『地方凡例録』
丹波篠山藩主青山忠裕が寺社奉行の任にあったのは寛政五年(一七九三)九月二四日から同八年十一月二九日であり、その日に少老に任ぜられ、後寛政十二年十月一日大阪城代に栄進B16した。その時点では前述の通り大河内輝和による「祠部職掌類聚雑纂」の編纂は終了していた。青山会文庫所蔵の「祠部職掌類聚雑纂」の資料数を見ると「祠部職掌類聚同雑纂摠目録」「御觸書目録」「御觸書総目録」「地方凡例録惣目録」の四目録四冊を含んだ全四四八冊B17で構成されている。これらの年紀を調べると、古くは明暦三年(一六五七)から、新しくは輝和が少老時代の寛政十年までであり、寛政十一年以降の年紀がある文書は存在しないB18。史料の残存から蓋然性を判断すると、青山忠裕は寺社奉行の任にあったときは勿論、その任を解かれてから大阪城代に栄進するまでの暫くの間「祠部職掌類聚雑纂」の必要部分を借用の上書写させていたと考えられるB19。先の静嘉堂文庫「祠部職掌雑纂總目録」と対比すると、∧青山本∨を含む青山会文庫「祠部職掌類聚雑纂」は原本の「祠部職掌類聚雑纂」を全てではなく選択的に書写したものであると思われるがB20、各史料を幕府の役職者の誰からいついかなる順序で借用し右筆に書写させていたのか、資料を書写しないもしくは選択書写した理由は何か等は不明である。また青山会文庫の場合、「類聚」と「雑纂」が混淆して個別史料上の区別は明確でない。
『地方凡例録』の筆写本の多くが∧十一巻本∨である一方、青山会文庫『祠部職掌類聚同雑纂摠目録』には「十巻」B21と記されている。同じく『祠部職掌類聚 地方凡例録惣目録』B22には十巻十冊の目次が記載されており、∧青山本∨はすべて十巻十冊である。いずれも著者に関する記述即ち大石久敬の名はない。当代三セットとも「十一巻目」もしくはそれ以降の巻並びに本文に付属した上表、序文、跋文等を書写しなかったと考えることは困難であると思われる。
以上から判断すると、青山会文庫「祠部職掌類聚雑纂」は寛政十年までの本文が書写されたわけであるため、∧青山本∨は『地方凡例録』が完成したとされる寛政六年から同十年までの間の、即ち当該書が完成したとされる時点直後の本文を留めていると推察される。
② ∧神宮本∨
 ∧神宮本∨B23は伊勢神宮が運営する文庫である神宮文庫の所蔵本である。十巻十冊ではあるが∧青山本∨と異なり、上表と後述する∧大石慎三郎本∨に収録されていない序文がある。著者名はそれらで判明する。序文に「天保五年夏四月」とある。∧十巻本∨は伝本が少なく、管見の限りでは上二例のみである。

一‐二 ∧十一巻本∨
① 『金銀考』
坊間の筆写本は概ね∧十一巻本∨と云っても過言ではない。「十一巻目」は金銀流通、社倉や義倉、代官経費支給などを論じている。∧青山本∨には存在しないこの巻の本文は、大部分が『金銀考』B24と「ほぼ同文」(ここでは文意を損ねない程度に同じの意)と言われているため、「十一巻目」の成り立ちを考えるためには『金銀考』について検討を加えることが必須であろう。「十一巻目」と『金銀考』の関係を検証するために、最初に目次を点検したい。長くなるが順次追ってみよう。「附」は細目である。
『金銀考』    ∧大倉本∨「十一巻目」
 本朝金銀通用之事 民間金銀通用之事
  附 本朝金銀之濫觴  附 金銀本朝出始
    [佐渡国金山]    佐渡国金銀山之信長金並甲金但馬南鐐
    [信長金] [甲州金] [但馬南鐐銀]
    紙銭[銀札]    銀札通用
    [金銀両目]    金銀両通始
    [金一歩を百疋といふ]      金百疋ト云始
[金銀の始り]    金銀座始
    [包歩銀]    包歩金    
 銭濫觴之事 銭始之事
  附 本朝鋳銭之事  附 本朝鋳銭始
    九六銭起之事    九六銭始
    銭を鳥目といふ    銭ヲ鳥目ト云事
    何疋となる起之事    何疋ト云事
 永発之事 永初之事
度量衡之事 度量衡之事
 附 斗掻の事  附 斗掻
   桝座・秤座の事    升座秤座
   絹布丈尺始の事    布丈尺初
分銀[限]扶持之事B25
 附 扶持米二合半初
   御代官並手代出役
   扶持諸入用定
   御代官陣屋引越入用定法
社倉之事 社倉之事
 附 常平倉之事  附 常平倉
   義倉の事    義倉
   助郷穀の事    助郷穀
   社跡米の事    社跡米
   老幼扶持の事    老幼扶持
  ([ ]内は長谷による、∧大倉本∨「十一巻目」「社倉之事」は目次のみで本文を欠く)
これによれば『金銀考』には「分限扶持之事」が存在しない。
次に本文を比較してみよう。『金銀考』の目次の内で、任意の項目例えば「銭濫觴之事」について本文開始部分を見ると、
『金銀考』は
 夫銭の濫觴は、古今原始に曰、女?氏の時、棘幣を鋳て、外円なるは天に法り、内方なるは地に象れり、軽重を以定、有無を通ず、銅を聚て造る、是銭の始り也B26
∧大倉本∨「十一巻目」の該当箇所を見ると
  夫銭ノ起リハ、古今原始ニ曰、女?氏ノ時棘幣ヲ造ル、外円ナルハ天ニ象ドリ、内方ナルハ地ニカタドル也、軽重ヲ以テ定メ有無を通ズ、銅ヲ集テ作ル、是銭ノ起也B27
とほぼ同文といえよう。
更に∧青山本∨の十巻十冊と『金銀考』の本文をとりわけ漢文体に注目して、これらについての傾向を簡単に比較したい。前者は漢字、漢文、平仮名、片仮名が混淆していると同時に、顛読する漢文は頻出する。例えば以下である。なお∧青山本∨に「十一巻目」は存在しないので、例示する同文は無い。
∧青山本∨は
一 穢多非人を平人ニ引上ル事 非人ハ元来非人之血筋
無レ之 平人零落して袖乞非人ニ落ルゆへ 非人頭へ證文
を入 非人之時分之衣帯道具等不レ残捨 身から計にて
素人ニ立戻れハ平人に成ルよし 穢多ハ元来血筋
有レ之者ニ付 身分之清め方無レ之B28
(原文に訓点、読点なし、読点の代わりに一文字空けとした、旁点は長谷による)
後者は漢字、漢文、平仮名混じり文であり、漢文は訓点が書記されているが、概して引用を含め、訓点を辿ることなく文章を上から下に直読すればすむ箇所である。顛読はむしろ例外といえよう。例えば以下である。
『金銀考』は
又但馬国に南鐐銀あり、古来は彼国に通用したるよし、形ち金の壱分判之ごとく、精銀にて四方の端に星型あり、片側に但馬、片面に南鐐と銘文あり、古通用したる砌は、一片銀一両に代りたるよし、今は通用なし邂逅持たるものあり(旁点は長谷による)B29
同じ箇所について∧十一巻本∨の∧大倉本∨をみると
 ∧大倉本∨「十一巻目」は
又但馬ニ南鐐銀アリ、昔ハ彼国ニ通用シタル由形金一歩ノ如ク、精銀ニテ四方ノハシニ屋形アリ、片面ニ但馬、片面ニ南鐐ト云文アリ、昔用行シタル節ハ、一片銀一両ニカヘタルヨシ、今ハ断テナシ、稀ニ持タル者アリB30(旁点は長谷による)
としている。
これらの文章を比較するために、傾向の概略を示すと、次の通りとなる。

本 ∧青山本∨    『金銀考』   ∧大倉本∨「十一巻目」
本文例 清め方無レ之    通用なし    断テナシ
(訓点、旁点は長谷による)

これらは本文の相違を簡潔に表していると思われる。一言で述べれば文章や文体が質的に異なっている、別の表現をすれば「文章の近代化」(近代的な文章とは自由な表現を可能にする文章のあり方)B31に相違を看取できると考えられる。それぞれは書かれた当代の人々に分かり易い表記がされているのであるが、『地方凡例録』∧十巻十冊∨と『金銀考』を見ると、後者は「十一巻目」の抜粋本なのではなく前者に比べて後代の別本であり、それぞれ著者が異なることが本文の相違から推察されるB32。「十一巻目」は∧原本∨には存在しなかったと思われる。
「十一巻目」の成立過程を推定すると、『金銀考』を母胎に、それには無い郡奉行、郡代、代官や属吏にとって勤務上の必要事項を記載した或る『勤要集』もしくはその類書『地方雑記』等の本文の一部分から「分限扶持之事」B33が混入されて、『地方凡例録』に加えられたと考えられる。
筆写本の流布は現代における書籍の流布とは異なると思われる。当該書に見られる巻や本文並びに上表、序文、跋文等の付加は、荒川秀俊による地方書の一つ『地方落穂集』についての分析および児玉幸多、入交好脩や永井義瑩らによる農書『清良記』研究B34で解明されたことが参考になる。荒川秀俊によれば
流布の地方落穂集は参考に供した人々が、気づき次第、参考事項を書き入れして行ったものと考えるのが妥当であろう。したがって、単一の編集者を想定するのは無理なのであるが、地方落穂集の前の十三巻[第一巻から第十三巻]はもともと一人の手で編集され、それが[第三者によって]一巻追加されて、十四巻のものとなり、その十四巻のものが次々に[第三者によって]書き加えられて、現在見られるような厖大な書物になったと考えるのが自然であろうB35([ ]内は長谷による)
である。まず上表、序文、跋文であるが、流布する『地方凡例録』にはそれらのすべてもしくはどれかがあることが少なくない。従来はこれらから著者や著作の経緯などが判明するとしてきた。∧青山本∨に見るように元来著者名の記載がないと思われるのであるから、これらは著作成立後の「著者性の出現」即ち著作を評価し著者を明らかにする行為によって出現成立したと考えられる。別の表現をとれば上表、序文、跋文は『地方凡例録』の有用性の評価を基に、これまで記載がなかった著者や著作の経緯を追跡調査して得た結果生まれたのであろう。次に「十一巻目」の成立であるが、これは「金銀不融通」に代表される近世後期以降の社会的課題の付加であろう。書写する行為は単に書き写すことではなく、行為の背景となる時代や書写者の意図が投影されるのである。そのことによって筆写は新たな多様性、即ち本文の多様化と巻の付加、を生むのである。
上表、序文、跋文と「十一巻目」の成立年代を推測すると、上記∧十巻本∨の∧神宮本∨序の「天保五年夏四月」を鵜呑みにできない一方で、旭岱子は『墨海山筆』で『地方凡例録』の「十一巻目」を抜粋筆写しており、「天保十二丑年九月」の書写識語があるB36。瀧本誠一は『金銀考』の成立を
天保頃のものと思はるれば、恐らくは其の頃又は文化文政頃B37
としている。∧十巻本∨の伝本が少ないことを併せて考えると、以上から「十一巻目」の成立および上表、序文、跋文の成立はほぼ同じ頃、即ち瀧本が指摘する時期と推察される。この頃『地方凡例録』が有用な著作として社会的に評価されると共に、流布書写されるようになったことを現していると思われる。
上表、序文、跋文はいずれも後世に作成されたものと推定できるが故に、またそれらが新たな伝承を生むため、それらに粉飾、誇張や誤謬がある可能性を否定できないと思われる。従ってこれらを基に『地方凡例録』を解き明かした大石慎三郎に代表される従来の研究は、総合的かつ客観的理解を欠く点で重大な欠陥を抱えていると考えられる。それに陥らないためにはより古い筆写本の発見と周縁の一次史料による再構築が望まれよう。
② ∧静嘉堂本∨
∧静嘉堂本∨B38は静嘉堂文庫のいわゆる「松井[簡治]文庫本」の一部であり、高崎藩または藩主の大河内家の出物が松井博士を経由して当該文庫に収蔵されたものである。第五巻と第六巻を欠くが、十一巻十一冊の∧十一巻本∨である。上表、序文、跋文、著者名がない。∧静嘉堂本∨も∧青山本∨同様に簡素な構成である。題簽は「祠部職掌雑纂」である。各巻の一丁おもてに内題、「祠部」、「高崎文庫」、大河内家の蔵書印B39、静嘉堂現蔵印がある。ここに捺された「祠部」蔵書印は何時如何なる書類や書籍に用いられたか今のところ不明である。小口書に「地方凡例録 巻之何」とある。∧十一巻本∨であること、「祠部職掌類聚雑纂」を編纂した大河内輝和後継藩主弟の輝延も享和二年(一八〇二)四月二八日から文化十二年(一八一五)四月二九日まで寺社奉行に任ぜられていたこと、大河内輝和が用いた祠部印数種B40とは異なることを総合すると、∧十一巻本∨の∧静嘉堂本∨を∧原本∨と判断することには問題があろう。

一‐三 その他の∧十一巻本∨
以下は∧十一巻本∨もしくはそれが底本となった諸本である。ここでは目録不備も列挙したい。
① 慶應義塾大学図書館蔵本『増補地方凡例録』十一巻六冊には文久三年(一八六三)の書写識語がある。『地方凡例録』本文に続いて「愚云」以下増補者立岩甚五郎敬徳による書入があるB41。『国書総目録補訂版』『古典籍総合目録』B42に記載なし。∧十一巻本∨を底本として編纂された本である。
② 筑波大学附属図書館所蔵本『地方凡例録』は∧十一巻本∨に別本の『要中録』(忍藩[現埼玉県行田]での行政執務の手控え書)『御仕置』『堤防』の計五冊が混入した寄本であるB43。
③ 目録上不備の諸本として、神戸大学附属図書館蔵全十二巻は総目録が付随した∧十一巻本∨である。目録上「十二巻」になっているB44。
京都大学文学部図書室蔵本は総目録が付随し、巻十に副本がある∧十一巻本∨である。目録上「目録一巻共十三冊」となっているB45。
山口大学附属図書館棲息堂文庫所蔵本∧棲息堂本∨は目録上二十二巻十三冊であるが、内容から見ると総目録一冊が付随した∧十一巻本∨であるB46。
④ 国立公文書館現蔵で元老院旧蔵本は十一巻十一冊を十一巻十冊に抜粋している。巻九は「十一巻目」、巻十は∧青山本∨の九巻目(川普請=治水)に該当する。巻十末に跋文があるB47。

一‐四 ∧十二巻本∨
∧十一巻本∨に付随した『地方凡例録総目録』には本文十五巻に加えて附録一巻「諸帳面雛形之事」の全十六巻の構想で目次立てがされているものがあるB48。この内「十一巻目」から「十五巻目」および附録は∧青山本∨に見られる∧十巻本∨の本文および総目録にない構成である。
 ∧十二巻本∨のうち∧法政本∨B49は法政大学図書館所蔵本である。十二巻目の項目や本文は、全十六巻の構想で目次立てされた総目録B50のうち、第十二巻目最初の「御城米一件之事」の本文が掲載されている。それ以下の
御城米難破船吟味一件之事、浅草御蔵納一件之事、海河船新艘造立并打替之事、廻船荷物出売出買致たる者之事、船荷物盗取たる者之事、難船と偽荷物掠取たる者之事、流荷物流木等取揚取計之事
について目次と本文は存在しない。上表、序文、識語は無く、十二巻目の巻末に跋文がある。∧東毛本∨B51は東毛学習文化センター所蔵本であり、∧法政本∨と同じ構成である。
「十二巻目」の本文は、大石久敬著と言われている上表、二つの跋文及び∧東條本∨の序文に照らすならば、本来存在しないはずである。その典拠を引用すると、
  凡記スル所三百四十四ヶ條輯シテ十一巻ト成ル(上表)B52
  最早十一巻目ヨリ末著述スベキ力ナク(跋文)B53
  最早拾二巻目より末著述難相成二付、十一巻目迄ニて無是非終候(跋文追加)B54
  十二巻以下未二全脱一レ稿(∧東條本∨序文)B55(以上四引用中、旁点は長谷)
に見られるように十二巻目以降は未着手なのであるから十二巻目の存在と矛盾している。従ってこれら『地方凡例録』上表、跋文や∧東條本∨序文の信憑性が問われることになろう。別の表現をすれば、これらが大石久敬作であることが疑わしいことになろう。従って『地方凡例録』を大石慎三郎のように「三分の一ほどが未完」の「全十六巻ほどにもわたる大著」B56とずることも問題を孕んでいることになると思われる。∧十二巻本∨は伝本が少なく、管見の限りでは上二例のみである。

一‐五 ∧十三巻本∨
『地方凡成録』(旁点長谷)は『地方凡例録』∧十一巻本∨の大部分及び∧十二巻本∨の「御城米一件之事」の大部分と総目録「十三巻目」の「評定所発端之事」の一部分の記事を基に、書写した者の手控えを加えた上で凡例目録、租税、検地、検見、雑、仕置、問合、書付、普請、量地に分類し二十巻二十冊に纏めた主題別編纂書であるB57。『国書総目録』『古典籍総合目録』に記載がない。
∧十二巻本∨∧十三巻本∨の成立を考えると、「十一巻目」の成立後であり、かつ序文、上表、跋文および十六巻総目録の成立後であり、巻数の順に成立年や書写年が新しいと考えられる。∧十二巻本∨∧十三巻本∨が流布することが少なかった理由は、幕末維新期に刊本が上梓されて、それらが流布したためであろうと推定される。しかし同時に∧十巻本∨から∧十三巻本∨まで多様な筆写本が併存していたと思われる。

二 諸版本および研究史
 幕末維新期以降は印行されて以下の版本を確認しうる。いずれも筆写本の∧十一巻本∨を底本にしている。

二‐一 ∧大倉本∨
南総の大倉儀により慶応二年(一八六六)に刊行された。これは『地方凡例録』の他の幕末維新期の整版本による版本とは異なり、木活字による「近世活字本」である。管見の限りでは∧大倉本∨には∧觀古堂版∨B58と大倉自身による∧私家版∨B59があり、両版は本文の様態が若干異なる。後者には前者にない本文の大幅な脱漏がある。前者は使用されている語が比較的一定しており、後者に比べればまだ本文の信頼性を保持していると言えよう。∧觀古堂版∨、∧私家版∨とも見返に「限活字三十部以頒同志」と記された限定版である。十一巻目に「社倉義倉」の項目があるがいずれも本文を欠いている。

二‐二 ∧橋爪本∨
橋爪貫一が校正し明治二年に刊行された、田制、租法や農政に限った抜粋本である。従って∧青山本∨の八巻(切支丹、「穢多」「非人」)や九巻(川普請)などは削除されている。序文は∧東條本∨の著者東條信耕琴臺による。

二‐三 ∧東條本∨
 東條琴臺が、著者と言われる大石久敬の孫の大石信敬とともに補訂した版である。奥付によれば「明治四年[一八七一]辛未七月刊」となっているが、内容を詳細に検討すると五年四月以降の出版と判断されるB60。出版時は「賤称廃止令」(四年八月二八日)後であり、他に関所の廃止(二年一月)、廃藩置県(四年七月)などの改革後であるため、これらについて本文が削除、抜粋、改訂されたばかりでなく、維新後の知見を大きく加えている。
なかでも大きく改作された箇所は、∧青山本∨の巻之八に記述された「切支丹」や「穢多」「非人」「沙弥」「鉦打」など、近世の宗教弾圧、差別や身分論・血統論についてであり、これらは近世を理解する上で欠くこのできない箇所であると考えられる。∧東條本∨はとりわけこれらを徹底的に削除し、「穢多」「非人」については明治四年八月太政官布告第四四八号「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」(「賤称廃止令」)を僅か六行で記すのみであるB61。地方書の内容は一般的に民政、農政、租法、川普請などの地方制度全般を扱っている。∧東條本∨が原型を保たない程改変した∧青山本∨の巻之八の内容に表されるように、当該書は立法、司法、行政を含んだ地方(じかた)を超える「内政」書となっている。これらこそ「祠部」を受け持つ寺社奉行高崎藩主大河内輝和が注目して「祠部職掌類聚雑纂」に加え、同じ寺社奉行篠山藩主青山忠裕が複数部を書写させた主要な理由の一つであると思われる。従って『地方凡例録』を大石慎三郎の様に「地方[じかた]第一の書」「江戸時代の農政手引書としては最高」B62とすることは評価したことにならないと思われる。∧東條本∨は『地方凡例録』を「内政」書から単なる地方書に矮小化したものと言えよう。
上記を含めて∧東條本∨が∧原本∨を大きく改変したと思われる項目を列挙すると、
① 各巻を上下巻に二分して二十巻とし、底本の∧十一巻本∨を十巻に抜粋圧縮。
② 字に旁訓を振る。
③ ∧青山本∨に存在しない「十一巻目」を十巻目に配置し、十巻目に「切支丹之事」「鉄砲規則之事」「旧関所之事」「奇特百姓太右衛門褒美之事」を加える一方「市場之事」「河岸場之事」「御巣鷹山之事」を削除。
④ 九巻上下の川普請の巻に∧青山本∨に存在しない図を多数挿入。
⑤ 同じ九巻の「普請方之事」に「石出」以下の詳細な目次を付与。
⑥ ∧青山本∨の十巻目「郷村請取渡之事」「分郷之事」を八巻上に配置。
⑦ ∧青山本∨の八巻目の「切支丹」や「穢多」「非人」「沙弥」「鉦打」等近世の差別に関する本文計三十四丁を削除し、八巻下に「僧位僧官并穢多非人の称御廃止之事」「府県支配所之事」「北海道郡名之事」と置き換え。
⑧ 四巻上に質地について十八項目を加える。
⑨ 四巻下に「検地仕方の補闕耕地絵図認方の事」「郡県封建之制并に西洋各国政体之事」「国号郡名郷名之事」「古今租税名目之事」「日本国総石高之事」を加える。
などである。

二‐四 ∧瀧本本∨
 ∧瀧本本∨は戦前、瀧本誠一により『大典』および『叢書』の中の一冊として同一の∧大倉本∨を底本にして翻刻した版である。それは∧觀古堂版∨とも大倉自身による∧私家版∨とも異なるため、筆者未見の∧もう一つの大倉本∨があるように思える。
本文の相違を考察するために、第八巻目のうち「穢多非人[身分]引上之事」を見ると、
∧瀧本本∨は
 穢多非人ヲ平人ニ引上ル事、非人ハ元来非人ノ血筋ト云事無レ之、平人零落シテ非人ニ落タル故、非人頭ヘ證文ヲ入立帰レバ平人ニ成ヨシ、エタハ元来其血スヂ別ナル者ニテ、身分ノ清メ方無レ之B65(原文に訓点、読点あり、旁点は長谷による)
∧大倉本∨の∧觀古堂版∨と∧私家版∨はこの部分については全く同文であり
 穢多非人ヲ平人ニ引上ル事 非人ハ元来非人ノ血筋無之 平人零落シテ袖乞非人ニ落ル故 非人頭ヘ證文ヲ入レ 立戻レハ平人ニ成候由 穢多ハ元来血筋有之者ニ附 身分ノ清メ方無之B66
(原文に訓点、読点なし、読点の代わりに一文字空けとした、旁点は長谷による)
∧青山本∨は、再度引用すると
 一 穢多非人を平人ニ引上ル事 非人ハ元来非人之血筋
無之 平人零落して袖乞非人ニ落ルゆへ 非人頭へ證文
を入 非人之時分之衣帯道具等不残捨 身から計にて
素人ニ立戻れハ平人に成ルよし 穢多ハ元来血筋
有之者ニ付 身分之清め方無之B67
(原文に訓点、読点なし、読点の代わりに一文字空けとした、旁点は長谷)
となっており、∧瀧本本∨∧大倉本∨は伝写する間に改変や脱漏等が生じて∧青山本∨と本文が異なった異文となっている。∧瀧本本∨は同じ∧觀古堂版∨∧私家版∨と比べると使用される用語が一定していない。「穢多」は「エタ」を用いている場合があり不定である。他に語の脱漏、上例では「袖乞」、がある。∧青山本∨と比較すると一層明らかであり、∧瀧本本∨∧觀古堂版∨∧私家版∨とも∧青山本∨の旁点部分「非人之時分之衣帯道具等不残捨 身から計にて」が脱漏している。
更に∧大倉本∨の社倉や義倉の項目は目次には存在するが、本文を欠いている。その為∧瀧本本∨も本文が脱漏している。∧大倉本∨即ち本解説では∧瀧本本∨と∧東條本∨について瀧本は次のように記している。
此の大倉本は東條本に比すれば、活字の誤植等少なからず、中には行文殆んど通じ難き所ありと雖も、東條本は出板者の筆を加へたる所多く、又原文を省略したる廉も多ければ、詰り大倉本の方不完全ながら、比較的原著作の真面目を保留すること疑なきが如しB68

二‐五 ∧大石慎三郎本∨
現在も研究者が用いる『地方凡例録』は∧大石慎三郎本∨である。大石慎三郎は∧東條本∨を底本とする理由を
大石久敬の未完の稿本を東条耕が補訂し、更にそれを久敬の嫡孫の信敬が補訂したもので地方実務手引書としては最も完備しているからである。『地方凡例録』の現在における役割は地方手引書としてより完備していることで、著者久敬の原稿にどれだけ近いかということは(一字一句そのままであるかどうかという意味で)この場合二の次の問題だと考えたB69
としている。
① 項目から見る∧大石慎三郎本∨の改変
大石が底本とした∧東條本∨は前述の大きな改訂を伴っていた。∧東條本∨での指摘と重複するが、煩を厭わず∧大石慎三郎本∨と∧青山本∨の相違点を項目で具体的に辿ることによって大石慎三郎本∨の問題点を摘出したい。次に例示するその「十巻目」は改変がとりわけ顕著であり、旁線部分は∧青山本∨と比較して、改変されている箇所と認められる。
∧大石慎三郎本∨       ∧青山本∨「巻之十」
巻之十上                一 郷村請取渡之事
一 度量衡之事              付 一 郷村請取済たる上村方より可取書
附 斗掻                     物之事
秤座秤座                一 御代官所引渡之節先支配より可請 
絹布丈尺始り                 取諸書物之事
一 社倉之事                 一 郷村受取之上村方江申渡之事
附 常平倉之事               一 御伝馬宿請取之上取計之事
義倉之事                一 郷村諸事吟味心得之事
助郷穀之事               一 村々高札并浦高札之事
社跡米之事            一 分郷之事
老幼扶持之事           一 市場之事
一 銭濫觴之事             一 河岸場之事
附 本朝鋳銭之始           一 御巣鷹山之事
巻之十下                一 鉄炮村方江貸渡証文并届書之事
一 永楽銭之事              附 一 鉄炮之儀享保二酉年御書付并
附 九六銭発り并銭を鳥目と云事          御代官より書上之事
銭を何匹と唱ふる発り之事        一 同譲渡之事
一 永発りの事                一 同御関所通リ手形并船積之事
一 分限扶持之事               一 隠鉄炮所持之者御仕置之事
附 扶持米二合半始之事           一 鳥銃(テツポウ)濫觴之事
代官并に手代出役扶持諸入用定之事 一 諸国御関所女通手形之事
代官陣屋引越入用定法之事      附 一 御関所地名并関守之事
一 民間金銀通用始之事            一 通手形出所之事
附 金銀本朝出始之事            一 関所破御仕置之事
佐渡金山始之事             一 御関所之儀ニ付諸事心得之事
信長金并に甲金但馬南鐐之事       一 囚人差通節通リ證文之事
金銀両目起之事          
金百匹と唱る起之事        
金銀坐始并包金之事        
金銀札通用之事          
一 切支丹之事             
一 鉄砲規則之事            
一 旧関所之事             
一 奇特百姓太右衛門褒美之事      
旁線箇所のうち∧青山本∨「郷村請取渡之事」「分郷之事」は∧大石慎三郎本∨巻之八上に位置B71している。前述のように「度量衡之事」「社倉之事」「銭濫觴之事」「永楽銭之事」「永発りの事」「民間金銀通用始之事」は『金銀考』とほぼ同文であり、「分限扶持之事」(以上太い実線部分)は『勤要集』もしくはその類書『地方雑記』等の本文の一部分から混入された部分である。この部分は多くの筆写本∧十一巻本∨の「十一巻目」であり、∧青山本∨には存在しない。さらに∧青山本∨の「市場之事」「河岸場之事」「御巣鷹山之事」は∧大石慎三郎本∨に存在しない。「切支丹之事」は∧青山本∨「巻之八」から、同じく「鉄砲規則之事」「旧関所之事」は同「巻之十」の改作であり、「奇特百姓太右衛門褒美之事」(以上細い実線部分)は∧青山本∨「巻之七」「由緒百姓之事」から「奇特者御褒美被下苗字帯刀御免有之近例之事」の改作B72である。項目から見る限り∧大石慎三郎本∨「十巻目」は∧青山本∨と一致する箇所が無い(太いもしくは細い実線部分)ため、∧大石慎三郎本∨「十巻目」は原型を留めない程改変されていると言えよう。
② 本文から見る∧大石慎三郎本∨の改変
 次に∧青山本∨「巻之八」から「切支丹類族一件之事」と∧大石慎三郎本∨「巻之十下」「切支丹之事」の本文を比較したい。前者は十六丁に及ぶ長い記事であり、「附タリ」として細目「宗門改人別帳濫觴之事」「切支丹奉行江諸届定法案文并村方届書之事」「貞享年中御定書之事」「切支丹取計覚書之事」「享保年中御書付之事」がある。そのうち一部分の引用となるが、「転切支丹」を
切支丹を捨仏家と
諸宗に成たル者を転切支丹といふ 
と定義した上で、「類族」や「本人同然」を定義している。更に
  男子の方ハ本人より七世の孫迄類族ニ而八代目より素人に成る
と系図で具体的に説明をしている。次いで宗門改證文の実務を説いている。例えば以下である。
一 切支丹類諸届方ハ宗門改證文毎年七月より十一月まで
切支丹奉行所江差出す 延引之訳有之者十二月ニも出す
尤年を越候義ハ難成
是者御領私領共村々毎年宗門改男女人別疑敷者
壱人茂無之 尤召仕など迄吟味之上寺請證文銘々取置
候也旨書付を以相届候事也B73
(以上原文に訓点、読点なし、読点の代わりに一文字空けとした)
 一方∧大石慎三郎本∨を見ると、切支丹について触れている箇所は次の「切支丹之事」のみである。全文を引用したい。
一 切支丹之事
切支丹宗ハ耶蘇宗とも云て、今西洋各国にて盛んに奉ずる宗門にして、旧約・新約等の書ありて其徒之を重んずと云ども、書中一も忠孝の教なく、只其神を大父母と称し、之を尊ぶこと生父母(ウミノヲヤ)より甚だしく、真(マコト)の生父母を左まで重んずることなき異教にして、実に国家の益となること少しもなく、其国家に害ある甚だしく、之が為に西洋各国血を流すこと度々なり、此徒元亀・天正の頃我朝へ渡来し、愚民を惑はし時の武将も之を信じ、所々に切支丹の寺を建立ありしに、徳川祖宗天下一統の後、此宗旨の国家に大害あるを察し、厳重に之を禁制し、其宗門の者を悉く仏法に帰さしめ、其改宗したる者を転切支丹と云ひ、其諸親類を類族と云うて、年々改め証文をとることにして、其類族死去其外変事等あれバ、逸々(イチイチ)届けを出し、其厳重なること普く人の知る処にして、若其宗徒を見出し訴へ出れば、同類たりとも其罪を赦し、褒美を下さることなりしが、今は此事殆ど断絶せしに似たり、然りと云ども此宗門の害を防ぎ、人心を惑乱せざらしめん為、愛国敬神の教を盛んに説かしめられ、人心を固くして異教を斥(シリゾ)くるの基を立玉ふ、旧時のごとく如何に厳禁し諸書付を取とも、心竊かに其宗を信ずるときは、何の益あらん、心だに固く国教を守らバ、其宗の書を見るも、亦何の害あらん、実に簡(カン)にして洩すなき今日の御政教仰(アヲヒ)でも尚余あり、猶転切支丹のことは、地方落穂集に委し、就(ツイ)て看(ミ)るべしB74(カッコ内原文は旁訓)
この本文に顛読する漢文は無いだけでなく、「国家」「愛国敬神」「旧時」「今日の御政教」などの表現に端的に窺うことができるように、維新後の内容に置き換えられている。
以上から判明するように∧青山本∨と∧大石慎三郎本∨(∧東條本∨でもある)の本文は全く相違している。それだけでなく「完備し[た]地方手引書」([ ]内は長谷)は近世の重要な側面を滅失していると言えよう。
更に∧大石慎三郎本∨について、古書を論ずる場合に奥付や刊記は信憑性に問題があることが以前から指摘されているB75。大石が『地方凡例録』の著者や成立過程を論ずるために依拠した∧東條本∨序文や二つの跋文等は猶更であろう。これらにたいする十分な配慮が欠けていたため、本解説でもこれらの信憑性を既に問うた。

二‐六 ∧朴論文∨
朴は『地方凡例録』の現存する諸本を比較し、∧原本∨の復元を試みている。検討の対象とした筆写本はすべて∧十一巻本∨である。朴によれば∧原本∨に最も近い構成は上表、十六巻までの総目録、一巻から十一巻までの本文、二種の跋文、完成年月日の全て揃っている本としているB76。∧原本∨に近いと想定した本を部分的に翻刻しているが、一行脱漏したのだろう、意味不明な箇所がある。例えば以下である。
  穢多非人隠亡類納米金之儀 持高年貢ハ穢たる物ニ付米納も不苦B77
(旁点は長谷による)
 正しくは以下である。
  穢多非人隠亡類納米金之義持高年貢ハ穢れ
  たるものニ付米納ニ不致前々石代金納に成来りし處
  享保十九寅年より米納も不苦B77

三 おわりに
『地方凡例録』の多様な筆写本と版本の諸本を「系統」として総合して愚見を述べれば以下の表になると思われる。ここで∧十巻本∨から∧十二巻本∨及び中心の右側部分は筆写本、左側部分は版本である。縦軸は時間的推移の概略を表わしている。

┌他の抜粋本や寄本
           ├『増補地方凡例録』  \∧十三巻本∨『地方凡成録』
∧十巻本∨―∧十一巻本∨―∧十二巻本∨―\
├∧大倉本∨―――――――――∧瀧本本∨
            /―∧橋爪本∨
              /―∧東條本∨―――――――∧大石慎三郎本∨

最後に∧定本∨としての∧青山本∨ついて考えたい。『地方凡例録』の成立年を総合的かつ客観的な視点から再考すると、例えば「巻之十」末に「寛政六寅年三月廿一日」付け文書B78の引用がある。従ってこの日以降で、「祠部職掌類聚雑纂」の編纂が一応終了した寛政八年(一七九六)六月までの期間に、当該書全十巻が完成したと考えられる。一方∧青山本∨が書写された年は前述の通り「寛政六寅年三月廿一日」以後で、前述の通り「祠部職掌類聚雑纂」が含む文書の最終年紀の寛政十年までと判断される。従って∧青山本∨は著作された時点での∧原本∨ではないが、書写年を確認もしくは推定しうる伝本の内で最も古く、伝写回数も少なく、しかも幕府役職者から借用し篠山藩の右筆によって忠実に書写された本として本文は正確性に富んでいる。その上今回の校閲を経ることによって、∧原本∨に最も近く復元された∧定本∨と言えるであろう。当該書によって歴史学や法制史学に止まらず、様々な分野で従来の歪んだ歴史像が転換されることを期待したい。



(B1) 後述の∧大石慎三郎本∨。
(B2) 「青山文庫」の旧蔵者である青山家は寛延元年(一七四八)以降、丹波篠山に封ぜられて幕末に至った。その旧蔵書のうち藩政史料、和歌関係の書籍や日記類は一括して平成十年(一九九八)篠山市に「青山会文庫」として寄贈された。藩政史料や日記等について「丹波篠山藩(青山家)古文書目録」がある(市教育委員会「青山会文庫」解説による)。
(B3) 以下∧何々本∨は従来からの、もしくは長谷が名づけた俗称。
(B4) 諸橋轍次『大漢和辞典』修訂版(大修館 一九八五)八 四六四頁。
(B5) 諸橋 八 五〇一頁。
(B6) 『江戸幕府職官考』五(東京都公文書館 二〇一一) 一〇三頁。
(B7) 石井良助『近世民事訴訟法史』(創文社 一九八四)[二一九] ~二五九頁。平松義郎『近世刑事訴訟法の研究』(創文社 二〇〇〇)四一五~四五七頁。
(B8) 『徳川実紀』十(吉川弘文館 一九六六 『新訂増補国史大系』四七)七四九頁。『続徳川実紀』一(吉川弘文館 一九六六 『新訂増補国史大系』四八)三九六頁。
(B9) 静嘉堂文庫 五〇四‐一四‐二〇三三四と五〇四‐一四‐二〇三三五(以下「静嘉堂總目録」と略)。橋本久ほか「静嘉堂文庫所蔵『祠部職掌雑纂惣目録』」(『大阪経済法科大学法学論集』四五 一九九九、一一)に翻刻。
(B10) 静嘉堂總目録 二〇三三四、二〇三三五 三お。
(B11) 静嘉堂總目録 二〇三三四 九お~六〇う、二〇三三五 八お~四三う。
(B12) 静嘉堂總目録 二〇三三四 四お~六お、二〇三三五 四お~五う。
(B13)静嘉堂總目録 二〇三三四、二〇三三五 二お、四。脇坂安董撰『諸寺社御朱印御條目跋』([立野](播磨国) 寛政十一年(一七九九)写(自筆)一軸 大河内家旧蔵、静嘉堂文庫五〇〇‐五‐二〇〇四二)。
(B14) 静嘉堂總目録 二〇三三四 五二う、二〇三三五 二九お。
(B15) ∧大石慎三郎本∨解題 四‐七頁。後に述べるように、これらは『地方凡例録』の∧東條本∨跋文に依拠している。本解説ではこの信憑性に疑問を投げ掛けている。
(B16) 『続徳川実紀』一 二二七、三三一、四四四頁。
(B17) 祠部‐目録‐一により算出したもの。橋本久ほか「丹波篠山 青山会文庫所蔵『祠部職掌類聚・祠部職掌雑纂目録』」(『大阪経済法科大学法学論集』四三 一九九九、三、四四(続)一九九九、七に翻刻。
(B18) 青山会文庫蔵書は劣化が著しいため、現在では全ての書籍文書を現物点検することができない。従って青山会文庫『祠部職掌類聚同雑纂摠目録』(祠部‐目録‐一)により調査したい。これによれば文書数全四四八冊の内で年紀が判明する文書数は二九四冊(六五・六%)であるため、これで全体像をほぼ展望できると考える。これらには「三奉行留」「相談書」「吟味書」「吟味伺書」「御仕置伺書」「御触書」など計二〇〇冊の法制や裁判関係の重要書籍文書を含んでいる。
(B19)青山忠裕の子忠良は天保八年五月一六日奏者番に加えて寺社奉行兼任となり、同十一年十一月三日大阪城代に栄進した。寛政九年、十年分を忠裕でなく忠良が複写させていたとすれば、四十年近い時間差を理解することが困難になるであろう。
(B20) 静嘉堂總目録 二〇三三四、二〇三三五、青山『祠部職掌類聚同雑纂摠目録』。
(B21) 一四う。本書頁。
(B22) 祠部‐八八B‐一、祠部‐目録‐四。
(B23) 七門六四〇。
(B24) 著者不明。原本所在未確認。『大典』四二(啓明社 一九三〇)に翻刻して収録。『慶應義塾図書館史』には「[瀧本誠一が『叢書』『大典』等で翻刻した]原本の一部は生前京都帝国大学に譲られたが、其後入手のものや未収文献の多数をまだ所蔵していた。[慶應義塾大学図書館で]「瀧本文庫」と名を付せられたこれらの図書が図書館の異彩を添えた」(慶應義塾大学三田情報センター 一九七二、一五二頁、[ ]内は長谷による)とあるが、原本は京都大学附属図書館、慶応義塾大学図書館とも所蔵していない。『金銀考』が『地方凡例録』「十一巻目」とほぼ同文であることは戦前から指摘されている。これについては『大典』四二 一〇頁、小野武夫「徳川時代に於ける農書の正体」(『社会経済史学』二(一〇) 一九三三、一)一〇ノ九九頁。
大阪市立大学学術情報総合センター福田文庫所蔵の『金銀考』(三三七・二‐KIN)は同一書名であるが、内容は全く異なる同名異書である。
(B25) 伝本によっては「分限扶持之事」が「十一巻目」の巻末に位置していることがある。例えば筆写本では∧法政本∨∧東毛本∨、後述の∧棲息堂本∨がこれに当る。
(B26) 『大典』四二 三六六頁。
(B27) 『叢書』三一 六五一頁。
(B28) ∧青山本∨八 四二う。本書頁。
(B29) 『大典』四二 三六二頁。
(B30) 『叢書』六四六頁。
(B31) 例えば最近の著作では斎藤文俊『漢文訓読と近代日本語の形成』(勉誠出版 二〇一一)がある。
(B32) 『金銀考』の本文には「寛政六年迄」の表現が三ヶ所ある。これは『地方凡例録』の完成年に擬えた偽託であると思われる。『大典』四二 三六七~八頁。
(B33) 原本所在未確認。『勤要集』については『江戸幕府郡代代官史料集』(村上直校訂 近藤出版社 一九八一)がある。「『勤要集』は、地方支配に当り、筆写する場合、収捨されたことが多い(中略)名称も別に「地方雑記」とある場合もあ」る(解説 七‐八頁)。『地方雑記』については『御沙汰書附御用触五』(ゆまに書房 二〇一一 丹鶴城旧蔵幕府史料 三〇)に類似の本文がある。
(B34) 児玉幸多「清良記に関する新資料の発見」(『社会経済史学』一三(一〇) [一九四四、一])、入交好脩『清良記』(御茶の水書房 一九五五)、永井義瑩『近世農書「清良記」巻七の研究』(清文堂 二〇〇三)。
(B35) 荒川秀俊「地方関係の述語の読み方」(『日本歴史』一八八 一九六四、一)六二頁。『地方落穂集』の刊本正編(巻一~巻十三)は宝暦十三年(一七六三)東武隠士泰路による。 
(B36) 国立公文書館蔵本 二一七‐〇〇三一。
(B37) 『大典』四二 一〇頁。
(B38) 五〇四‐一八‐二〇三四四。一方、高崎市立図書館蔵本は、祠部、高崎文庫もしくは高崎藩主大河内家蔵書印が捺されていないため、これらの旧蔵書でないことが判明する。そのためここでは取り扱わない。
(B39) 高崎文庫蔵書印については『国立国会図書館蔵書印譜』(国立国会図書館編 一九九五 日本書誌学大系 七〇) 二九頁。これによれば「高崎藩に藩校が設立されたのは、大河内輝高[輝和父]時代の宝暦年間(一七五一‐一七六三)で、これを遊芸館と称した。しかし、安永三年(一七七四)火災に遭い、全館烏有に帰している。再建は慶應三年(一八六七)の仮開設のあとの、明治元年一月開校の文武館まで待つ。これも新学制の施行により、僅か四か年で廃校になってしまった。(中略)高崎藩旧蔵の典籍は、現在当館[国立国会図書館]で一六点架蔵している。(中略)大河内家にかんする文書類は、現在高崎市立図書館の所蔵に帰している。」(旁訓略、[ ]内は長谷)とあるが、少数に過ぎない。高崎文庫および高崎藩大河内家蔵書印については『新編蔵書印譜』(渡辺守邦他編 青裳堂 二〇〇一 日本書誌学大系 七九)二六八頁。
(B40) 静嘉堂總目録 二〇三三四、二〇三三五。橋本久ほか(一九九九、一一)二五二‐三頁。
(B41) 一〇七‐一二一‐一~六。
(B42)『古典籍総合目録』は『国書総目録補訂版』の続編。岩波書店 一九八九‐一九九〇。
(B43) ム二一〇‐四二。
(B44) 住田文庫 三‐五〇。
(B45) 国史‐四重一‐近一〇。
(B46))。M三二〇‐O〇〇‐A一~A一三。『山口大学附属図書館所蔵 棲息堂文庫目録』(同館 一九八六)四九頁。書名の読みは「チホウハンレイロク」になっている。
(B47) 一八二‐〇一四二。
(B48) 荒川英俊「『地方凡例録』の著作意図」(『日本歴史』一七六 一九六三、一)四七‐五三頁。
(B49) L二‐四〇四‐一~一二。
(B50) 荒川英俊(一九六三、一) 四九頁。
(B51) 群馬県公文書館 PF九九〇五‐二一~二六。
(B52) 朴論文 六一頁。荒川英俊(一九六三、一)には「上表案」が掲載されている。「凡記する処、何百何拾何ヶ条、輯して拾何巻と成」とあるため、「上表」の「原案」であろう。四八頁。
(B53) ∧大石慎三郎本∨下 三二九頁。
(B54) ∧大石慎三郎本∨下 三三一頁。
(B55) ∧東條本∨一上 一ウ。∧大石慎三郎本∨上 序一頁に翻刻。
(B56) ∧大石慎三郎本∨上 解題 四~五頁。
(B57) 所蔵例として早稲田大学図書館 ワ〇三‐〇六六二八。
(B58) 引用は国立公文書館蔵本 一八二‐〇一五六による。
(B59) 国立公文書館蔵本 一八二‐〇一七四、二六六‐〇〇五七、二六六‐〇〇五八、二六六‐〇〇五九、二六六‐〇〇六〇がこれに該当する。これらは同一の原版から印刷された同版本である。引用は一八二‐〇一七四による。
(B60) 八下 一八オ。最も新しい記事として明治五年四月二十五日太政官布告第一三三号「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」が掲載されている(『法令全書』(明治五年(一八八九) 内閣官報局 九三頁)。
(B61) ∧東條本∨八下 一七ウ~一八オ。
(B62) ∧大石慎三郎本∨上 解題 一‐二頁。 [ ]内は長谷による。
(B65) 『叢書』四七六頁。
(B66) 国立公文書館蔵本 一八二‐〇一五六 八 二四ウ。
(B67) 八 四二う。本書頁。
(B68) 瀧本誠一『日本経済典籍考』(日本評論社 一九二八)二九五頁。
(B69) ∧大石慎三郎本∨上 解題 八頁。
(B71) ∧大石慎三郎本∨下 一二九~一五六頁。
(B72) 本書頁。
(B73) 四う~五う。本書頁。
(B74) ∧大石慎三郎本∨下 三二三~三二四頁。
(B75) 例えば長澤規矩也「刊記奥附の信憑性」(『図書学参考図録』第二輯解説 汲古書院 一九七六)。
(B76) 六一頁。
(B77) 本書頁。
(B78) 本書頁。
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科学技術古典籍資料シリーズの特色

(l)近世に創作された日本の科學・技術に関係する貴重な古典籍を網羅---貴重な資料が全国各地に散在しているために、日本の科學・技術に関連する第一次資料を網羅することはできなかった。今回はさまざまな資料を捜索・掲載し、日本の科學・技術の歴史全体を俯瞰できる内容とした。

(2)充実した内容と斬新な構成----初學者にも理解できるように、古代から近世末期までを俯瞰できる各分野ごとの科學・技術史年表、基本的な文献の解題目録、完璧な索引を作成し、内容を豊富化した。既存のさまざまな概念にとらわれずに、事実としての日本の科學・技術の歴史を明らかにすることを重視している。古代・中世に、中国より渡来した科學・技術は、江戸時代に独自の発展をとげ、この時代の中期以降に西洋の科學文化に接触し、さらなる歴史を形成した。本集成は、この発展の歴史を辿りながら、現代以降の科學・技術のさらなる発達に寄与できうる内容構成とした。

(3)あらゆる學問分野で活用できる資料集成----この資料のみで、日本の科學・技術史を俯瞰できるのが大きな特色。資料篇、文献解題篇、年表篇、索引篇のいずれからも読むことが可能で、さらなる研究に活用するために便利な資料。日本科學史、日本歴史の研究者のみならず、作家、ジャーナリスト、社会科學・自然科學分野の研究者なども活用できる、体系的な資料集成。

[当初この日本科学技術古典籍資料シリーズは、「日本科學技術古典籍資料集成」として、独自のシリーズで刊行の予定でしたが、古代及び中世の日本独自の文献を所蔵している機関が少なく、また、所蔵していたとしても、複製が困難なために、新たなシリーズとして発行することを断念致しました。さらに、江戸時代に科學技術研究が最盛期を迎えたことと、この時代に発行された資料がほとんどであることを勘案して、「近世歴史資料集成」シリーズに組み入れることにした次第です。深くお佗び致します。]

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