近世絵図地図資料集成 第22巻 千島・樺太・蝦夷(7)
商品コード: ISBN978-4-7603-0379-3 C3323 \250000E

近世絵図地図資料集成 第22巻 千島・樺太・蝦夷(7)

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近世絵図地図資料集成 第22巻 千島・樺太・蝦夷(7)

The Collected Maps and Pictures Produced in Yedo Era-----Second Series (Full Coloured Edition)
近世繪圖地圖資料研究会 編
(Edited by The Society of the Study of Maps and Pictures of Yedo Era)
A2版・袋入・限定100部・分売可
本体価格 250,000円
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内容の紹介

077 松前屏風

松前町資料館
宝暦年間(1751~63)を中心とした時期に松前で活躍した風俗画家・小玉竜円斎貞良が松前城下の様子を描いた6 曲半双屏風である。白神岬から根部田にいたる松前城下町の壮大な全景を描き、福山館(後の松前城)を中央にして、武家屋敷・寺院・商家などの街並み、海には帆船・磯船、さらに人々の賑わいの様子が克明に描かれている。貞良の経歴は不詳であるが、松前に住んで数多くのアイヌ風俗画を描いたことでも知られている。本作品は昭和52 年9 月、北海道有形文化財に指定されている。

078 松前市中地図   106.0 × 212.0

国文学研究資料館「津軽家文書」22B-2167
伊勢国宇治山田(現三重県伊勢市)出身で測量・地理と絵画に優れていた秦檍丸(別名、村上嶋之允)が、文化3 年(1806)に作成した自筆の松前市街図である。地図の入っている木箱の蓋に次のように記される。表「文化四丁卯年二月御預御小姓組預、松前江刺市中地図 弐冊」、裏「文化三丙寅年、公儀軽き御役之者、村上嶋之允より上ル」。図は松前城下を一望できるように描かれ、松前城を中心にして街並みを詳細に描いている。以降、松前市街図はこの図が多く写し継がれていくことになる。津軽藩主旧蔵図である。

079 江刺市中地図  107.0 × 159.0

国文学研究資料館「津軽家文書」22B-2168
078 図と対になるもので、文化3 年(1806)、秦檍丸の作成した自筆の江刺(現江差町)市街図である。当時の江差は、松前・箱館と共に、北前船の往来で賑わい、多くの物資が流通し、文化的にも繁栄し、「蝦夷地の三湊」といわれ、「江差の春は江戸にもない」といわれた地である。
津軽藩主旧蔵図である。

080 松前市中絵図   115.0 × 220.0

秋田県公文書館 県C-362
078 図と同様の図で、対の081 図によって文化4 年(1807)の写しであることが分かる。
秋田藩旧蔵図である。

081 餌指湊地図    114.0 × 162.5

秋田県公文書館 県C-360
「餌指」は現在の江差町である。079 図と同様の図で、「文化四年丁卯初秋写之」と記され、文化4 年(1807)の写しである。秋田藩旧蔵図である。

082 松前市中地図   118.2 × 213.0

千秋文庫博物館 NO12
078 図と同様の図で、秋田藩主旧蔵図である。

083 餌指湊地図    119.0 × 161.6

千秋文庫博物館 NO13
079 図と同様の図で、秋田藩主旧蔵図である。

084 奥州松前之図    54.7 × 161.5

三井文庫 C681-41
078 図とは異なる松前市街図である。海岸線は真っ直ぐに延び、松前城を中央にして、街並みには多くの家臣名が見え、寺院名も散見する。「奥州松前城下之図、西丸御小人目付古山勝五郎蔵せらる懇需之借矢内勇馬士ニ頼謄写せらる宮氏家蔵とせり、文政五壬午十一月」とあって、文政5 年(1822)の写しである。

085 松前御城細縮図   81.0 × 185.0

もりおか歴史文化館「南部家蔵書」史35-5-050
078 図とほぼ同じ範囲を描いた松前城下図であるが、やはり、沿岸に近い道路は直線的に引かれ、城下周辺の道路も目立つように明瞭に描かれている。また図の中央に松前城が大きく描かれた美麗な図である。南部藩主旧蔵である。

086 箱館市中細絵図   80.2 × 131.0

東北大学附属図書館 狩3-9279-1
箱館(現函館市)は、寛政年間(1789~1800)になって繁栄してゆくことになる。その市街平面図であるが、古いものは、享和年間(1801~3)の図があり、函館市中央図書館に所蔵される。本図は「嘉永七甲寅年十月調、箱館市中細絵図面、壱丁凡弐寸積」と記し、嘉永7年(1854)の写しであるが、「御役所屋舗・沖ノ口・御作事所・築島」などの他に「元南部家勤番屋舗・高田屋金兵衛(高田屋嘉兵衛弟)拝借地・牢屋舗」などもあり、寺院も多く見える。

087 箱館全図     116.5 × 181.0

北海道大学附属図書館 図類633
箱館山を大きく描き、麓に広がる箱館市街地を詳細に表現している。麓から山頂にかけて幾本もの山道が引かれ、海岸にある多くの岩石や洞穴の名称も記載しているし、山上から麓にかけて三十三番観音も見える。市街地には「御役所・町会所・沖ノ口御役所・遠見番処」などがある。安政2 年(1855)頃、蝦夷地警備を命じられた南部藩の作成図である。

088 南部津軽松前浜通絵図     213.0 × 201.3

市立米沢図書館「岩瀬家文書」698
津軽海峡をはさんで蝦夷地は箱館湊から沿岸を通って松前城下までを描き、津軽地方は大きく下北半島と津軽半島を描いている。津軽海峡(江戸期にはこの名称はない)には難所といわれた竜飛之潮・中之潮・白神之潮の3 潮流が描かれ、そのなかを各所への航路が引かれている。「津軽番所・仙台勢詰・南部勤番所」などと記され、文化年間(1804~17)の東北諸藩の蝦夷地警備のために作成された図であろう。

089 津軽海峡航海図   46.2 × 58.3

弘前市立弘前図書館「伊東家文書」KF558-1
津軽海峡をはさんで松前地方と津軽地方の沿岸を描写した木版無彩図である。松前側の中央部に、「松前城下問屋、張江太次兵衛」と記し、これが版元であろうか。地名は松前側に47、津軽側に45 がある。航路線は引かれていない。書き入れ文として「江指ヨリ松前ヘ十八リ、松前ヨリ三馬屋ヘ十五里、奥戸湊―九艘泊へ十七リ、松前ウスケシヘ四リ、タツヒ崎ヨリ白カミ崎ヘ七里、北沖ウズ強巻汐懸リ」などと記している。本図の作成年は不明であるが、他に所蔵を聞かない珍しい図である。

090 筥館近海亜人測量図   ① 51.2 × 71.8、② 53.5 × 76.6

もりおか歴史文化館 史50-2-003
①「亜人箱館近海測量之図」は経緯度線のある図で津軽海峡をはさんで津軽地方と蝦夷地沿岸を描いている。安政3 年(1856)に箱館に入港したアメリカ船が測量した旨の記述がある。
②「筥館近海亜人測量図」は、箱館山から箱館湾を望み、遠く茂辺地・当別付近までを描いている。安政5 年(1858)に箱館に入港したアメリカ船が測量したとの記録を載せる。両図とも南部藩主旧蔵である。

091 東蝦夷地クスリより箱館迄廿六場所図

古河歴史博物館「鷹見家資料」C212
「場所」とは、蝦夷地でのみ実施された独自の経済地域である。松前藩の重臣である知行主へ一定の運上金を上納して交易権・漁業権を得た経営者(場所請負人)が、定められた地域で和人・アイヌ人を使役して漁業を行ない、収益を得る仕組みである。本図はクスリ(現釧路市)から箱館(現函館市)までの東蝦夷地沿岸(太平洋沿岸)に連続する場所、ミツイシ・シラヲイ・ヤムクシナイなど26 場所を描いた巻子本である。

092 東蝦夷地ウス場所絵図面 37.0 × 105.7

東北大学附属図書館 狩3-9286-1
西はアフタ(現虻田)から東はモロラン(現室蘭市)までの範囲を描いた場所図である。幕末のウス(現有珠)場所の知行主は新井田家であり、場所請負人は和賀屋宇兵衛である。図には、 境杭・会所・神社・漁小屋・明松蔵・古道・新道・本道などが見える。安政年間(1854~60)の図と思われる。

093 東蝦夷サル場所絵図 27.6 × 77.8

東北大学附属図書館 狩3-9285-1
西はユウフツ(現勇払)領境から東はニイカップ(現新冠)領境までのサル(現沙流)場所を描いた図である。幕末のサル場所の知行主は小林家であり、場所請負人は山田屋文右衛門である。
中央に「サル会所」が見えるが、「会所」とは、場所経営の中心となる施設である。安政年間( 1854~60)の図と思われる。

094 西蝦夷地石狩場所絵図 56.0 × 136.6

北海道大学附属図書館 図類349
石狩川河口から上流してチュクベツフト(現旭川市付近)周辺まで描写した図である。サツホロ(現札幌市)からヲタルナイ(現小樽市)、千年(現千歳市)会所付近にかけて支流が多く描かれ、地名も詳細であるが、上流にゆくほど地名は少ない。センハコ(現小樽市銭函)からシマヽフ(現北広島市島松)、さらに千年会所まで朱線を引き、それぞれへの里数を記載している。本図は模写図である。

095 東蝦夷地海岸之図

もりおか歴史文化館「南部家蔵書」史35-5-064
南部藩は、寛政期から文化期、安政期と蝦夷地が幕府の直轄領になるたびに、度々蝦夷地の警備を命じられてきた。安政2 年(1855)、蝦夷地が再び幕府領になると、4 月になって松前藩の他に津軽・南部・仙台・秋田の4 藩にも蝦夷地各所への警備を命じた。南部藩の警備地は箱館(現函館市)からホロベツ(現登別市)まで現在の内浦湾一帯の範囲であった。元陣屋は箱館に置き、出張陣屋はモロラン(現室蘭市)に設置した。本書はその時期に警備地を視察・調査した折りの報告書にあたるもので、安政2 年、南部藩士・長沢盛至の著作である。上部に文章が、下部に絵図を描いている。南部藩主旧蔵である。同じものが函館市中央図書館に『東蝦夷地海岸図台帳』として所蔵されるが、いずれも盛至の自筆本と推測される。

096 福山江差地方絵図 54.8 × 77.0

東北大学附属図書館 狩3-9287-1
図には年紀も氏名も記されていないが、松前藩士・今井八九郎の作成図であることは間違いない。八九郎は諱を信名、号を不山という。間宮林蔵から天文地理を学び、測量術を習得したといわれる。文政11 年(1828)、蝦夷地全域の測量を命じられ、天保9 年(1838)に全ての測量が終了した。安政6 年(1859)には幕府直轄領と松前藩領と境界確認のために松前周辺の測量を実施した。本図は知内から福山を経由して伏木戸・関内あたりまでを描き、内陸部には境界線らしき朱線が引かれている。

097 桧山尓志絵図 117.9 × 147.9

北海道大学附属図書館 図類421
本図にも年紀・氏名はないが、描写方法によって今井八九郎の作成図であることが判明する。
096 図よりさらに狭い範囲を描写して、小砂子(現上ノ国町)から石崎・木ノ子・上ノ国を過ぎ柳崎・乙部を経由して熊石(現八雲町)に至る範囲を描き、内陸部も詳しく河川や山々も数多く描いている。本図よりさらに広範囲を描いた『福島津軽桧山爾志絵図』が北海道立図書館に所 蔵される。
千島列島地図

098 蝦夷松前小図 36.0 × 340.2

八戸市立図書館 EZ-603(11-9-3)
経緯度線を引き、経緯度数を記入した大型図面で、クナシリ島からカムチャツカ半島までを描いた詳細な千島列島図である。島の1 つ1 つにアイヌ語地名とロシア語地名の両方を記載する。カムチャツカにある湾の1 つを別枠に大きく描き、周辺の様子を詳しく記している。
文化年間(1804~17)の作成図と推測される。八戸藩旧蔵図であるが、同様の図は国立公文書館にも所蔵される。

099 蝦夷千島図

東北大学附属図書館 狩3-9262-1
「ウルツフ嶋よりカンサツカ迄嶋之絵図」と記すようにウルップ島よりカムチャツカ半島までの島々を描く図である。文化年間(1804~17)の作成と推測される。

100 松前蝦夷地絵図面 46.8 × 199.5

酒田市立光丘文庫 3361
享和3 年(1803)、南部領牛滝村の沖船頭・継右衛門等14 人は海産物を積んで箱館近在の村から江戸方面に向かった。その後、大暴風に遭い漂流の後、カムチャツカに上陸、ここで生活しながら船を造り、文化2 年(1805)、カムチャツカを出帆し南下しながら途中で越年、翌3 年やっとエトロフ島に到着、直ちに勤番所へ申し出た後、再び越年。同4 年4 月、残った6人がついに箱館へ帰着したのである。本図は継右衛門一行がロシアで見た地図などを参考にしながら作成したものである。裏面に「蝦夷地里数」と題する長文の地名・里程表が載る。

101 蝦夷諸島新図 26.0 × 122.4

北海道大学附属図書館 図類626
この図も100 図と同様に、牛滝村の継右衛門一行によって作成された千島列島図である。100 図に記載されたものと同じような由来の文言が書かれている。この漂流に関する報告書が『南部領牛滝村船方之者共魯西亜江漂流上申書』で、函館市中央図書館に所蔵される。

102 蝦夷地久奈志利嶋図 50.2 × 121.3

古河歴史博物館「鷹見家資料」H415
「文化三丙寅仲秋念四写之、山崎重教」、「此図者野州城内皆川村新蔵所蔵也、新蔵嘗謂従御勘定某君在蝦夷地一年至久奈志利而自製之云、文化四丁卯仲秋、鷹見忠常写之」と記し、文化4 年(1807)に古河藩家老・鷹見泉石が写した図であることが分かる。同島の「周廻船路」を掲載し、図中には会所・蝦夷小屋などもみえる。同図は北海道大学附属図書館にも所蔵される。

103 クナシリ島泊番所附近之図 54.3 × 81.0

北海道大学附属図書館 図類864
「クナシリ嶌之内泊御会所廻仙台持場并石火矢台之図」と記す図である。文化3 年(1806)から4 年にかけの露冦事件が起こり、幕府は東北諸藩に対して蝦夷地の警備を命じた。この時、クナシリ島警備を命じられたのが南部藩と仙台藩であった。本図はクナシリ島トマリに設置された仙台藩の警備の様子を描写したものであり、仙台居小屋・南部居小屋・石火矢台・会所・漁小屋などが見える。「文化五辰年七月下澣、於筥館亀田千代ケ丘陳営写之」と記載され、文化5 年に筥館(現函館市)で写された図である。

104 東蝦夷地クナシリ嶋図 75.0 × 107.2

古河歴史博物館「鷹見家資料」H411
102 図とはまた別のクナシリ島図である。岸壁・岩礁・山々などの描写が立体的な精写図である。書き入れ文も多く、「リルチシ~ 此山崎汐込ノ節通行成難シ」、「ヱチンベツ~ 此処ヨリフルカマツフ番屋迄山道三里、此処鷲トリ場、温泉場、烽火」などと記載する。「天保四巳年九月写、楓所」とあり、「楓所」とは古河藩家老・鷹見泉石の号である。天保4 年(1833)に泉石が写した図である。

105 クナシリ嶋惣絵図 63.0 × 216.0

斎藤報恩会自然史博物館 A- Ⅲ 597
大型で詳細な図である。内陸部に大きな山や沼を描き、地名や書き入れ文も多い精写図である。トマリ周辺には勤番所・御役宅・運上屋・イナリ社・弁天社なども描かれるが、これは仙台藩の陣営である。同図は早稲田大学図書館にも所蔵される。

106 ヱトロフ・クナシリ新図 151.6 × 113.8

北海道大学附属図書館 図類627
寛政11 年(1799)、エトロフ島の開拓に従事していた近藤重蔵は、クナシリ島からエトロフ島への渡海が困難であることを知り、高田屋嘉兵衛に安全な航路の開発を命じた。嘉兵衛は何日もかけてクナシリ水道の潮流を見極め、持ち船・宜温丸で渡海し、ついに安全な航路を見出したのである。本図はこの時の航路を描いたものである。「西蝦夷地汐・唐太汐・北海汐」の3 つの潮流を描き、「夷舟路・宜温丸舟路・宜温丸針路」の航路線を引いている。各所に沖合の深さも示している。

107 ヱトロフ動乱之砌図式 27.5 × 170.0

弘前市立弘前図書館「岩見文庫」GK215-153
文化2 年(1805)、ロシア使節・レザノフは長崎での交渉に得るものがなく、帰国の途についた。同3 年から翌4 年に、部下は威嚇として、カラフト島・クナシリ島・エトロフ島で、襲撃発砲放火事件を起こす。有名な「魯寇事件」である。この際に舞台となった1 つ、エトロフ島の見取絵図である。公儀会所、津軽・南部両陣屋が描かれ、「上下蝦夷地異国船之事」と題する事件のあらましを文章にして記載する珍しい図である。

108 蝦夷ヱトロフ島図   53.3 × 78.5

三井文庫 C580-26
文化年間(1804~17)に作成されたと推測される図である。数多くの地名が載り、書き入れも幾つか見られる。当時を代表する図形をもつエトロフ島図である。

109 ウルツフ嶋見取絵図  27.4 × 282.0

北海道大学附属図書館 図類864
ウルップ島の北部のみを描いた珍しい図である。「ラソワ夷人穴居小屋・此所箔相見申候・魯西亜人穴居跡・此所温泉有」、などと書かれている。
樺太島図

110 加良不止嶋図    77.3 × 55.8

東北大学附属図書館 狩3-9270-1
天明期(1781~88)に作成されたと推測される図である。カラフト島の形は、実際とは大いに異なりほぼ円形状に描き、中央に大きな湖を描いて「わたり十里余」と記す。地名や書き入れは豊富であり、「天明五乙巳年、青島俊蔵蝦夷ヲ卒シテ是迄巡見ス、同人著述スル処ノ蝦夷拾遺ノ書記ニ因テ惑聞ヲ決シ新図ヲ成考爾」と記して、幕府による天明調査隊一行に関わる図とも思えるが、調査隊の作成図とは異なっている。

111 カラフト嶋図   190.5 × 155.5

東北大学附属図書館 狩3-9271-1
この図も文化年間(1804~17)頃の作成と推測される図である。南部を大きく描き、ノトロ岬からアニワ湾を経てシレトコ岬に至り、さらに北部に延びている。地名は詳細だが、書き入れ文はない。西側の海に浮かぶ「トヽモシリ」は、後の「海馬島」である。

112 樺太地図 82.0 × 34.0

八戸市立図書館 EZ-604(11-7-9)
幕府雇であった間宮林蔵は、蝦夷地やクナシリ・エトロフ島で勤務した後、文化5 年(1808)、松田伝十郎と共に、カラフト島の検分・調査を命じられた。伝十郎は西海岸を、林蔵は東海岸をそれぞれ北上する。林蔵は途中から南下して西海岸に出て、伝十郎と合流し、再び北上して対岸を遠望し、島が海峡で隔てられていることを確認した。本図はこの第1 回目の検分によって作成された図である。西海岸の北部は想像によるものである。八戸藩旧蔵図である。

113 黒竜江中洲并天度   80.2 × 39.8

北海道大学附属図書館 図類872
カラフト島から帰着した間宮林蔵は、単独で再びカラフト島の検分・調査を命じられ、東海岸を北上、ここで越年した。翌文化6 年(1809)、海峡を渡って対岸の大陸に渡り、満州仮府のあるデレンに到着、ここで清国と少数民族との交易の様子を詳しく調べ、黒竜江河口に出て再び海峡を渡ってカラフト島に戻った。この図は第2 回目の検分・調査によって作成された図である。オランダのライデン大学図書館に自筆図が所蔵され、本図はその系統の模写図である。西海岸北部は想像によって描かれている。

114 北蝦夷地全島図    73.0 × 52.0

北海道大学附属図書館 図類250-2
裏面に「北蝦夷地全島図、戊午六月清水平三郎書上絵図」と記されている。清水平三郎は、はじめ「場所」の支配人であったが、安政元年(1854)に松前藩の士分となった。アイヌ語・サンタン語にも通じ、同3 年、箱館奉行支配となっている。翌4 年8 月、北蝦夷地(カラフト島)に渡り交易に従事している。本図は安政5 年の作成であるが、黒竜江沿岸の地名は詳細であり、従来のカラフト島図にはみられない書き入れもある。カラフト島の図形は形を成していない。

115 北蝦夷地図     118.8 × 53.1

北海道大学附属図書館 図類610
図中に「北蝦夷地詰御足軽倉内忠右エ門、安政六未年廻嶋見取縮図」とある。倉内忠右衛門については不詳であるが、安政6 年(1859)に作成されたものである。カラフト島は、当時の作成にしては形を成さず、地名の記入も西海岸にのみにとどまる。しかし対岸の黒竜江周辺の地名や書き入れ文は詳細である。

116 柯太地図      272.0 × 125.5

北海道大学附属図書館 軸物16
明治初年に作成された大型の樺太島図である。北緯45 度から54 度までの緯度線を引き、最南端の「白主領」から、最北端の「顔戸領」まで細かく82 区分されている。これは開拓使が行政区として計画したものであったが、実際には採用されずに終わった。大陸には「満州・ニカライスケ領・黒竜江・魯西亜国界」の文字がある。明治8 年(1875)、ロシアとの間に「千島樺太交換条約」が締結し、樺太島はロシア領土となった。図中に「外務省図書記」の大型蔵書印があるが、蔵書印も含めて本図は模写図である。原本の所在は不明である。同図は東京国立博物館資料館にも所蔵される。

117 シラヌシ分間絵図  71.5 × 98.7

京都大学附属図書館「谷村文庫」5-84C3
シラヌシ(白主)はカラフト島南端の西側に位置し、古くから蝦夷地から北上してこの湊に到着する中継地であり、また交易場所でもあった。シラヌシ地図の現存は極めて少なく、本図以外に所蔵することを聞かない。

本地図集成(第II期)の特色

(1)江戸時代の政治・経済・文化・地誌・學問を研究するための基本資料集成----基本資料としての江戸時代に製作された地圖群を網羅して集大成。さらに、世界圖や日本圖も整理・分類して、あらゆる研究に活用できる内容構成とした。

(2)丁寧でかつ精密な編纂方式を採用し、フル・カラー版で複製----原圖の内容水準を確保し、閲覧と研究を容易にするために、A2版のフル・カラーで複製。日本全國を國別に分類・整理して、地方史研究にも対応できるものとした。フル・カラーのために、地圖上の詳細な情報を容易にかつ正確に把握が可能。

(3)さまざまな分野で活用できる基本的な資料集成----地圖學のみならず、日本史學、日本文學、民俗學、民族學、地理學、経済學、政治學、土木工學、河川工學、建築史學、環境學、気象學などのあらゆる學問分野で活用が可能。

(4)日本及び世界の地圖製作の歴史が俯瞰できる充実した内容と構成----繪圖・地圖に含まれている豊富な情報量を解析し、その理解を容易にするために、レヴェルの高い書誌情報と、緻密な構成の解説を掲載。これにより、天正年間以降に作成された地圖群の詳細な内容(年記、圖幅名称、編者等、発行者、寸法、形式、所蔵機関請求記号、備考など)と、その発展の歴史が一覧できる。収録する資料は、日本(國立國会圖書館、國立公文書館、都道府県区立圖書館、博物館、大學圖書館など)、海外(米國議会圖書館、フランス國立圖書館、大英圖書館、UCLAルドルフ・コレクション、ブリティッシュ・コロンビア大學ビーンズ・コレクションなど)の地圖群を網羅・整理。

(5)斬新でかつ独創的な編集方針----関東地方の江戸時代以降の発展の歴史を三大水系(荒川水系、多摩川水系、利根川水系)を基軸にして分類し、さらに解析するなどの独創的な手法を採用し、既存の學問方法をさらに発展させた編集方式を提示。

おすすめしたい方々

大學・公共圖書館、博物館、文書館、大學研究室(日本史學、日本文學、経済學、政治學、民俗學、民族學、地理學、地圖學、土木工學、河川工學、建築史學、環境學、気象學など)、地圖愛好家

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