商品コード: ISBN978-4-7603-0372-4 C3325 \250000E

近世絵図地図資料集成 第15巻(フルカラー版:正保国絵図集成・東日本篇)

販売価格:
250,000円    (税込:275,000円)

近世絵図地図資料集成』第II期・第15巻(フル・カラー版)
(フルカラー版:正保国絵図集成・東日本篇)

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概要

この『近世繪圖地圖資料集成』第XV巻は、59項目、125枚、第XVI巻は、59項目、125枚で構成されています。

この『近世繪圖地圖資料集成』第XV巻は、A2版の袋3個の中に、全部の地圖が収められています。

読者の便を考えて、線と文字と色を出すことに留意し、地圖は拡大したものもあります。殊に、水面、湖面、海面を表現している群青色の部分に書かれている「註記」などが解読できるように創意工夫を施しましたのでご留意ください。

仕上がりのサイズは、A2版(455mm x 625mm---版面は355mm x 500mm)で、袋に収納し、それらをケースに入れました。

配列は、右から左、そして、上から下を原則としました。例外のものもあることを、ご考慮下さい。

リストの整理番号のアルファベット記号が所蔵機関を表示した略称です。

被差別部落、地名及び人名の俗称などに関しましては、本田豊先生(東京人権歴史資料館)のご校閲を仰ぎ、学術的な一次資料という観点から処置致しました。

表題は内題を使用致しました。ただ、内題がないものは、題箋に書かれている名称を採用致しまし。

この『近世繪圖地圖資料集成』第XV巻、第XVI巻の刊行に際しましては、滋賀県立図書館、國立公文書館、篠山市教育委員会、臼杵市立図書館、宇治市歴史資料館、鳥取県立博物館、山口県文書館、鍋島奉公会、東京大学史料編纂所、長崎歴史文化博物館などの許可のもとに刊行することになりました。

國繪圖の作成の歴史及び歴史地理学について

地球を俯瞰して延滞的な視野をもって世界を構成するのが歴史地理学であるとするならば、この学問体系は非常に魅力をもっている。歴史という縦糸が織りなす人間生活の発展過程とその世界的連関性は、魅惑的でさえある。これらの國繪圖の作成も、この視点から見るならば、新たな知見を発見することができるであろう。基本的かつ重要なことは、俯瞰すること、そしてつきつめたうえで、原理的そして根本的に思考することである。地球儀から日本列島を俯瞰して考察してみると、以下のような事実が認識される。

(1)古来、日本列島が警醒されて以降、人間が居住し農耕生活を営む土地は、河川の流域か、もしくは、山脈の間の谷間の地で、水の取得が可能な地域に限定されていた。この生活様式は現代までも続いている。地形の大規模変化がどなかったことを前提として論攷を進めることにする。

(2)新しい田畑の開墾は、これらの土地の土壌を改良したり、余剰の水分を除去し、必要な水分を取得するための灌漑設備の建設にあった。高地を切り開くよりも、河川や近海を干拓する方が、原価もそれほどかからず容易であることに留意する必要がある。オランダの北海干拓の例を見るまでもなく、湾、干潟、砂州などの開発が奨励されたのはこのことによる。

(3)江戸時代における新田、新畑の開発とは、とりもなおさず、河川の流域の湿地帯における排水設備の構築であり、堤防や新しい用水路の建設などによる、河川道の整備をさすのであろう。日本海に注ぐ阿賀野川と信濃川の河口に位置する湿地帯において、湿田の整備、排水設備の建築などがその好例である。また、江戸時代にあっては、荒川や利根川などさざまな河川における堤防の構築、用水堀の開鑿、中小河川の結合や埋め立てなどによる、農耕や生活などに適した河川道の整備などが全国各地で展開された。これらの事業の詳細を理解するためには、各時代ごとに製作された数種類の地図を比較・検討することによって、河川とその流域に位置する都市や農村の発展過程を詳細に理解することが可能となる。特に、現代の地図とこれら江戸時代の各國絵図を重ね合わせて研究すると、都市・農村・河川を含む国土の変化の実体が手に取るように理解できる。

(4)日本國は国土のほとんどが山岳地帯であるために、海岸部や平野部は僅かしか存在せずといえども、その場所に住居を構え、農耕生活を営んできたのが、我々の祖先の生活実態と言えよう。これらの平野部を潤す河川も、急峻な山岳地帯から角度をつけて流れ込んでくるために、上流からの土砂が堆積し、屈曲部のある箇所などでは水量と勢いが増し、洪水などの大災害を引き起こしてきた。これらの災害は、古くから何度も繰り返されてきた。水の流れが急激であることは、流量も多くなり、流れる速度も増すことに注意する必要がある。ただ、琵琶湖、諏訪湖などの比較的低い場所から流れ出す河川は、堤防と排水設備の十分な構築により、災害を最小限にくい止めるることができる。大坂平野は、淀川が中心部を潤していて、干拓による用水堀の無秩序な建設のために、河口付近に水害をもたらすものの、市内へ入るまでは、非常に緩慢とした流れである。その地理的条件の優位性のために、大規模洪水は避けることができた。秩父山地や上信越高原地帯の急峻な山地から流れ出す荒川と利根川が、下流地域にもたらしてきた災害の巨大さと比較する必要があろう。

(5)以上の視点に基づいて、一覧表(「正保國絵図」「元禄國絵図」「天保國絵図」)の執筆に取り組んだ次第である。ここでは、総生産量の他に、一村あたりの石高も算出して、生産効率もしくは生産性の視点からも考究することにした。天保時代にあっては、六万三千七百九十四件の村数が確認されていて、村落の人口が正保、元禄、天保の各時代を通じて一定であったことを大前提として書かれている。石高が多くても、それに比例して人口が多くなれば、一人あたりの生産高は少なくなる。また、人口が少なければ、生産量が少なくても村落の人口支持力は増大する結果をもたらす。いずれにしても、ドイツの著名な地政学者カルル・エルンスト・ハウスホーファー(Karl Ernst Haushofer, 1869年8月27日 - 1946年3月13日)の理論を参考にして、「人口支持力と生産性」の観点から、江戸時代の経済的実相を考究する試みも、ある価値をもつことになろう。

(6)歴史地理学研究の方法も、川村博忠教授の視点から再構築をする必要があろう。

 徳川幕府の指示による國繪圖の作成事業は以下の五段階に分類できる。

(1)慶長國繪圖…1603(慶長8)年の江戸幕府の開設以降、徳川家康は全國の諸大名に、國繪圖と郷帳(石高帳)の提出を命じている。この事業の実際の責任者は西尾吉次と津田秀政で、牧長勝と犬塚忠次などが彼らを補佐した。1605(慶長10)年には、國繪圖と郷帳の大部分が中央政府に献納されているとの記録が見られる。ただ、これら國繪圖の正本は全く現存していないので、各藩の所有していた控圖あるいは後世の写圖によってのみしか、この事業の全貌を把握することができない。いずれにせよ、これらの事業は、天正年間に実施された豊臣政権下における國繪圖・御前帳の収納に倣ったもので、領地の正確な把握と、生産力状態の緻密な構築による租税収入の安定化をめざした、徳川政権の恒久的な支配の確立に主眼があったと推定される。

(2)寛永國繪圖…1633(寛永10)年、徳川幕府は諸國見廻りの名目で全國各地へ巡検使を派遣し、各地の領主に國繪圖の上納を命じ、それから数年をかけて資料が収集された。また、1638(寛永15)年には、「日本國中之惣繪圖」を製作するために、各藩に対して、改めて、巡検使が集めたような簡略なものではなく、詳細な國繪圖の作成と提出を要請している。この事業の責任者には、幕府大目付の井上政重が就任した。命令が発せられてから作成・提出に至るまでに、おそらく数年の歳月を必要としたであろう。

(3)正保國繪圖(本集成15巻及び16巻に収録)…1644(正保元)年12月、幕府は諸國の大名に國繪圖の製作及び提出の命令をだした。これらの繪圖は、1648(慶安元)年頃迄に、殆ど収集されたと推定される。これらの國繪圖に基づいて、「日本國中之惣繪圖」が編集された。この事業の指揮者も、幕府大目付の井上政重である。國繪圖の作成に際して、表記や縮尺の統一など、地圖製作上の細部にわたっての指示がなされているのが大きな特色であろう。江戸時代の総合的な把握を目的として、附録として「正保郷帳」を公刊する。

(4)元禄國繪圖(本集成17巻に収録)…五代将軍徳川綱吉の治世下の1697(元禄10)年閏2月、諸國に命ぜられた國繪圖の調進は、それから四~五年の歳月を経て、完成を見るに至った。これらの資料を活用した「日本國中之惣繪圖」の編集は、1701(元禄14)年7月頃に開始され、1702(元禄15)年12月に、「日本御繪圖」の三枚が完成した。また、方位資料の収集や、遠望術・交会法など新しい地圖製作技法を取り入れて、この「日本御繪圖」の改訂を意図し、勘定奉行の大久保忠位の指揮のもとに、「日本國中之惣繪圖」の再編集は、1717(享保2)年7月に始まり、1728(享保13)年2月に、ようやく陽の目をみることになった。この事業の成果物が「享保日本圖」である。附録として「元禄郷帳」を公刊する。

(5)天保國繪圖(本集成13巻及び14巻に収録)…「元禄國繪圖・郷帳」の成立から約130年後の1831(天保2)年12月、徳川幕府は郷帳の改訂作業に着手し、1834(天保5)年12月に、その作業を完了している。國繪圖の改訂は1835(天保6)年に始まり、1834(天保5)年12月に終了している。今回の事業がかつての寛永、正保、元禄期と異なるのは、始めに郷帳、ついで國繪圖の製作が行われていることと、諸國からの資料の献上を要請するのではなく、幕府の勘定方が一括して実行しているところにある。また、郷帳の改訂においては、表高ではなく、実際の生産高の記載が厳しく要求されたことである。これは幕末期になって、幕府財政の逼迫に際して、生産力の正確な把握による國家の経済的基礎の確立が焦眉の課題となっていたことにあるのであろう。そして、ヨーロッパからの文化・學問の導入、地圖製作技術の飛躍的な進歩などとも相まって、あらゆる意味において卓越した天保國繪圖が作成されたと思われる。本集成においても、全國を網羅した國繪圖(全83舗)の理解を容易にするために、附録として「天保郷帳」(全85冊)を公刊する。

おすすめしたい方々

大學・公共圖書館、博物館、文書館、大學研究室(日本史學、日本文學、経済學、政治學、民俗學、民族學、地理學、地圖學、土木工學、河川工學、建築史學、環境學、気象學など)、地圖愛好家

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