商品コード: ISBN978-4-7603-0426-4 C3321 \50000E

第5巻 日本科学技術古典籍資料/天文學篇[12]

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第5巻 日本科学技術古典籍資料/天文學篇[12]

解 説
 この巻では、中國の著名な天文學資料である「授時暦」と「天経或問」を研究した、西村遠里と入江脩の著作物を掲載した。これら原資料の所在は、いずれも日本學士院で、【】内に配架番号を記載した。
(一)西村 遠里 著: 授時解(巻之一~巻之十五)【六七○五】
 西村遠里は、享保三(一七一八)年に生まれ、天明七(一七八七)年に死去している。享年七十歳。大和の出身。京都で薬屋を生業として、池部清真に算学を、幸徳井氏に暦学を学んだ。土御門泰邦の推挙で、宝暦の改暦に加わるが、途中で辞任した。この宝暦改暦にあたっては、将軍徳川吉宗の意図に従って、西洋天文学の成果を導入して、改暦を意図していた江戸の天文方に対して、伝統的暦法に依拠した保守派の土御門一派を代表する立場にたち、天文方の日食予測があたらない点を指摘した。また、彼は宝暦十三年九月一日の日食を予知したことで知られている。名前は得一。通称は左衛門、千助。居行、得一堂、遠里と号した。また、西村遠里は多作で、「宝暦七年貞享解」(天明元)、「日本古今交蝕考」(宝暦十四)、「和漢里法考」などの天文・数学書に限らず、「天學指要」(安永五)、「万国夢物語」(安永三)、「居行子」(明和九)、「天文俗談」(宝暦八)、「数学夜話」(宝暦十一)、「遠里随筆」(安永五)、「本朝天文志」(天明元)などの、一般知識人向けの随筆や学問論関係の著作を残している。
 この著作も、「天文學篇(十一)」に掲載した、小泉松卓撰「授時?註 循環暦(一~五)」【東北大學図書館所蔵 狩野文庫七・二○九六二・五】と同系統の資料であるので、「授時暦」に関して、簡単な説明を施しておきたい。
「授時暦」は、一二八○年、元のフビライ汗に仕えた郭守敬が、イスラーム暦をもとに作った暦で、現在のグレゴリウス暦に等しい正確さだった。中国では、殷周時代以来、各王朝が制定する太陰暦(正確には太陰太陽暦)を採用し、一年を三六五・二五日としていた。授時暦においては、一年は三六五・二四二五日で、地球の公転周期との差は、わずかに二十六秒しかなかった。その正確さは、約三百年後の一五八二年、グレゴリウス十三世の支配時代にに考案され、現在も通用している、グレゴリウス暦に比肩しうる内容であった。授時暦は高麗に伝えられ、さらに、日本にも影響を与え、渋川春海が作成し、貞享二(一六八五)年に採用された「貞享暦」も、この暦に基づいている。その後、中国では、明王朝が授時暦を一部修正して、一三六八年に大統暦を採用した。授時暦と大統暦は優れた暦法であったが、暦日と実際の気候とが次第に合わなくなり、農作業に支障が出始めた。イエズス会の宣教師アダム・シャールが、弟子の徐光啓とともに、西洋暦法による新暦を作成し、明代末の一六二九年、『崇禎暦書』を著し、その正確さが知られるようになった。しかし、まもなく明王朝が滅亡し、暦の改訂は実現しなかった。清朝は、新たな暦の制定に取り組み、アダム・シャールに命じて新暦の制定にあたらせ、一六四五年から、時憲暦を採用した。中国がグレゴリウス暦(太陽暦)に切り替わるのは、辛亥革命の翌年、中華民国第一年の一九一二年からである。ちなみに、日本の太陽暦へ切り替えは、明治六(一八七三)年のことである。
 手稿本で、「宝暦十一(一七六一)年自序」の記載がある。目次は以下の通りである。
*巻之一:序、目録、引書(三十八種類)、元史巻百六十四 郭守敬傳、?例
*巻之二:氣朔發斂觧
*巻之三:日躔觧
*巻之四:月離觧
*巻之五:中星觧
*巻之六:交會觧
*巻之七:立成(大陽、大陰、五星)
*巻之八:五星嘸目觧
*巻之九:同推歩術觧
*巻之十:同初行率觧 上
*巻之十一:同初行率觧 下
*巻之十二:暦議觧 上
*巻之十三:暦議觧 中
*巻之十四:暦議觧 下
*巻之十五:測量諸器圖巻
 この三十八種類の引用書目は、天文學書のみならず、「史記」「元史」「三才圖會」など、歴史書なども含まれていて、興味深い内容である。
(二)西村 遠里 著: 天経或問註觧(巻之一~巻之九)【六八八五】
 「天経或問」は、江戸時代の中期に、中国から輸入された學術書で、天文、地理、気象について書かれた資料である。享保十五(一七三○)年、西川正休(一六九三~一七五六)により訓点が施された三冊で刊行され、一般天文學書として、江戸時代中期から後期にかけて、広く読まれた。
 著者の游子六は中国明末から清の初め頃に活躍し、?中(現在の福建省)人である。中国古来の天文學に、游子六がイタリア人宣教師熊三抜(Sabathin de Ursis: 一五七五~一六二○)から教わった西洋天文學の知識が加えられている。日本で禁書令が出されていた年代には、天文學関係の本でも禁書の対象で、「天経或問」もその一つであった。禁書令が緩和された後の
享保十五(一七三○)年になって、ようやく出版された。
 この日本発行版の内容は、すべて問答形式で書かれていて、前半は天文學の話題が中心で、天の体系、太陽や月、惑星の運動、月の満ち欠けや日食、月食などのしくみ、星座などについて説明している。後半は、風や雨、雪、雷、虹などの気象現象などを説明している。
 この資料は「天経或問」の丁寧な解説書といった趣で、年紀の記載はなく、手稿本である。四冊九巻で構成されていて、第四冊の題簽は「天経或問註觧 巻之七」となっていて、この冊に、「天経或問註觧 巻之八」と「天経或問註觧 巻之九」が挿入されている。おそらく、題簽の書き誤りと推定される。
(三)入江 脩 著: 天經或問註觧(序巻、圖巻上、圖巻下)【六八八三】
寛延三(一七五○)年十二月刊行の版本である。著者は、入江東阿で、脩は名前である。江戸時代中期に活躍した暦算家で、軍學者でもある。元禄十二(一六九九)年に生まれ、安永二(一七七三)年六月十四日に没している。享年七十五歳。江戸の人。名前は敬善、修敬。字は惺叔、君義、保叔、通称は平馬。東阿、竜渚、寧泉と号した。初めは大島喜侍に教えを請い、後に、中根元圭に暦算を學んだ。山鹿流軍學にも精通していた。寛延二(一七四九)年、筑後久留米藩に仕えた。他の編著作として、「一源括法」(宝暦十)、「神武精要」(元文四)などが知られている。

 

  二○一七年六月中旬
                                                                             編者識
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科学技術古典籍資料シリーズの特色

(l)近世に創作された日本の科學・技術に関係する貴重な古典籍を網羅---貴重な資料が全国各地に散在しているために、日本の科學・技術に関連する第一次資料を網羅することはできなかった。今回はさまざまな資料を捜索・掲載し、日本の科學・技術の歴史全体を俯瞰できる内容とした。

(2)充実した内容と斬新な構成----初學者にも理解できるように、古代から近世末期までを俯瞰できる各分野ごとの科學・技術史年表、基本的な文献の解題目録、完璧な索引を作成し、内容を豊富化した。既存のさまざまな概念にとらわれずに、事実としての日本の科學・技術の歴史を明らかにすることを重視している。古代・中世に、中国より渡来した科學・技術は、江戸時代に独自の発展をとげ、この時代の中期以降に西洋の科學文化に接触し、さらなる歴史を形成した。本集成は、この発展の歴史を辿りながら、現代以降の科學・技術のさらなる発達に寄与できうる内容構成とした。

(3)あらゆる學問分野で活用できる資料集成----この資料のみで、日本の科學・技術史を俯瞰できるのが大きな特色。資料篇、文献解題篇、年表篇、索引篇のいずれからも読むことが可能で、さらなる研究に活用するために便利な資料。日本科學史、日本歴史の研究者のみならず、作家、ジャーナリスト、社会科學・自然科學分野の研究者なども活用できる、体系的な資料集成。
[当初この日本科学技術古典籍資料シリーズは、「日本科學技術古典籍資料集成」として、独自のシリーズで刊行の予定でしたが、古代及び中世の日本独自の文献を所蔵している機関が少なく、また、所蔵していたとしても、複製が困難なために、新たなシリーズとして発行することを断念致しました。さらに、江戸時代に科學技術研究が最盛期を迎えたことと、この時代に発行された資料がほとんどであることを勘案して、「近世歴史資料集成」シリーズに組み入れることにした次第です。深くお佗び致します。]

各巻本体価格 50,000円

[内容構成に若干の変更がある時は、ご了解下さい]

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