商品コード: ISBN978-4-7603-0413-4 C3321 \50000E

第11巻 日本科学技術古典籍資料/數學篇[14]

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第11巻 日本科学技術古典籍資料/數學篇[14]
The Collected Historical Materials in Yedo Era (Seventh Series)

磁石?根元記(上、中、下)
算法天元樵談(一~五)
七乗冪演式(上、下)
算學啓蒙諺解大成(總括、上本、上末、中本、中末、下本、下末)
開商點兵算法(上、下)
招差偏究?法
[新編]和漢算法(一~九)

 今回は江戸時代の数學の名著としての七作品を取り上げる。いずれも、東北大學附属図書館所蔵である。

(一)磁石?根元記(上、中、下)[岡本文庫刊五六]
著者は保坂因宗で一六八七(貞享四)年の成立。保坂因宗の生没年は不詳。通称は与市右衛門で下野國都賀の人である。磁石を用いて測
量することを説いた。そのことから考えて、田畑、山地などの測量に際しての基礎知識を概説した入門書であろうと推定される。

(二)算法天元樵談(一~五)[岡本文庫刊A三○ 一八○一六]
著者の中村政栄は羽後荘内鶴岡の人で、通称八郎兵衛。生年は未詳で、没年にはさまざまな説がある。直指撞破流を創始した。無尽利廻
算法を考案し、無尽数理の開祖としても著名である。一七一九(享保四)年には、藩主の命令により、月山、鳥海山などの測量も行った。
一七○二(元禄十五)年に「算法天元樵談」の上・下二巻を著している。上巻と下巻の前半で天元術の問題を解いていて、下巻の後半に平
方冪式演段があり、巻末に遺題九問を掲載している。彼は、「算法天元樵談」の追加として、「算法眞裸適等」上・中・下の三巻を著した。
この追加篇の題簽は「算法天元適等」三・四・五と表記されていて、内題は「算法天元樵談追加眞裸適等」上・中・下となっている。本巻に
おいては、これら五種類の論文が同一の論理のもとに記されたと判断して、「算法天元樵談(一~五)」の表題を附した。

(三)七乗冪演式(上、下)[岡本文庫刊五六-一八二一五―二]
冪演算は、底及び冪指数 と呼ばれる二つの数に対して定まる数學的算法のことで、通常は、冪指数を底の右肩につく上付き文字によっ
て示す。自然数を冪指数とする冪演算は累乗のことである。一六九一(元禄四)年の刊行で、編者は中根元圭である。元圭は字で、名は璋、
通称は十次郎・丈右衛門、白山・律衆軒・律聚と号した。田中由真・建部賢弘に数學を學び、後に、建部賢弘の推挙で、徳川吉宗に仕え、
漢文で記された西洋暦學書を日本語に翻訳し、江戸と下田の観測成果に基づいて「貞享暦」の精確さを報告した。彼は儒學、医學などにも
通じていた。

(四)算學啓蒙諺解大成(總括、上本、上末、中本、中末、下本、下末)
著者は建部賢弘で、一六六四(寛文四)年に生まれ、一六七六(延宝四)年に十三歳で、関孝和の門に入った。関孝和が一六七四(延宝二)
年に刊行した「発微算法」が当時の最新の数學書で、建部賢弘は、この書物を座右において學問に研鑽したと推測される。彼は、一六八三
(天和三)年に、二十歳にして、「研幾算法」を、一六八五(貞享二)年、二十二歳の時に「発微算法演段諺解」四巻を、一六九○(元禄三)
年、二十七歳で、「算學啓蒙諺大成」七巻を著した。諺解とは口語訳という意味で、漢文で書かれた、元代の朱世傑の著作である「算學啓蒙」
(上・中・下の三巻構成。一二九九[大徳三]年刊行。 二十四門・二百五十九題を含む)を訓読するだけでなく、和文で解説を加えている。
漢字交じりの片仮名表記であるので、平仮名で書かれている「塵劫記」のように、一般大衆には用いられず、藩校で教育を受けた武士階級
が読者層の中心であったと思われる

(五)開商點兵算法(上、下)[狩七―三一三○五―二]
上と下の二巻で構成されている。上巻の内題は「開商點兵算法上篇」で、「村井中漸著、長野士擇較」、序文の年紀は一七六九(明和六)年、
村井中漸のはしがきの年紀は、一七六五(明和二)年、「平安書房水玉堂発行」となっている。一方、下巻の内題は「開商點兵算法演段」で、「長野士擇著」、序文の年紀は一七七○(明和七)年、「江都松本善兵衞、大坂河内屋喜兵衞、京都天王寺屋市郎兵衞」発行となっている。
村井中漸は一七○八(宝永五)年六月十六日に生まれ、一七九七(宝永五)年二月二十四日没、享年九十歳。名は漸で、中漸は字、平柯・
痴道人などと号す。儒医として京都に居住し、和算や書道の分野においても造詣が深かった。長野士擇は生没年未詳で、名は正庸。士擇は
号である。村井中漸の門下生で京都人。

(六)招差偏究?法[狩七―七○四二八―一]
中國の古代数學書にも見られる招差方についての解説書。編者は和田寧。一八二九(文政十二)年刊行。和田寧は一七八七(天明七)年
に生まれ、一八四○(天保十一)年九月十八日没、享年五十四歳。名は寧で、字は子永、算學・円象・香山などと号す。最初は播磨三日月
の藩士で、後に、江戸に出て、関流数學を習得した。芝増上寺や土御門家に奉職し、安島直円の円理を発展させ、曲線や曲面の求積を行う
「和田の円理表」を創造した。

(七)[新編]和漢算法(一~九)[藤原集書六三]
撰者は宮城清行。江戸時代前期の和算家。生没年は不詳。元禄時代(一六八八―一七○四)に活躍した。本姓は柴田。通称は理右衛門、外記。
京都の人。関流の演段術を用いて、早伝授で知られた。宮城流を自称し、一六八九(元禄二)年に「明元算法」を、一六九五(元禄八)年に、
この「[新編]和漢算法」を叙述した。内容の充実した基本的な数學資料とも言える内容で、多岐にわたり、和文と漢文で記載されている。
この数學篇も、日本國内外の文献を博捜し、収集・分類・統合・解析の段階を経て、十四巻を刊行するに至った。ただ、宿痾の課題とし
ての、数學の軸となる思想の解析については、未だ解明されていないのが実状と言えよう。江戸時代の数學界の二大巨峰と巷間で言われて
いる、吉田光由と関孝和についての書誌は整理中である。算學が中國から導入されてきて、いかにして、日本独自の数學を築き上げること
が出来たのかを、解明する所存である。次回以降の巻に於いて、日本と中國の数學文献の整理・分類を行い、読者諸氏の要望に応えるべく
鋭意努力中であることをお伝えしておきたい。
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