近世絵図地図資料集成 第18巻 千島・樺太・蝦夷(3)
商品コード: ISBN978-4-7603-0375-5 C3325 \250000E

近世絵図地図資料集成 第18巻 千島・樺太・蝦夷(3)

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近世絵図地図資料集成 第18巻(フルカラー版)

A袋


001 松前蝦夷図    157.0×104.2

大東急記念文庫52-15-2566
江戸幕府は、慶長・正保・元禄・天保の4度にわたって国絵図の作成を全国の諸藩に命じて作成させた。北辺の小藩である松前藩にも正保以降の3度、作成命令が出されたのが記録に残っている。本図は、元禄10年から作成が行なわれた元禄国絵図のなかの松前藩「松前島絵図」の系統をひく国絵図系蝦夷図である。内陸には山や樹木を写生風に描き、凡例として「蝦夷在所、鳥屋在所、村在所」の3つがある。裏面に「享保三歳□戊戌臘月下澣、土州産井戸権左衛門長義粧写焉」と記される。享保3年(1718)の写しであり、井戸長義は土佐藩の重臣であろう。

002 蝦夷国古写図    152.0×96.0

北海道大学附属図書館 図類624
本図も元禄国絵図の「松前島絵図」系統の国絵図系蝦夷図である。書き入れ文として「是ヨリ東浜通、馬足相叶不申候」、「是ヨリ石狩迄廿五里程、蝦夷往来道但此間ニ野川有リ」などと記している。凡例は001図と同様に記載される。また「文化五戊辰二月上旬、蘭山模写」とあり、文化5年(1808)に、戯作者の高井蘭山が写した図と思われる。蘭山には『蝦夷国私説』(文化4年編)という編著もある。

003 夷松前之図    156.5×107.2

徳川林政史研究所129-58-38
元禄国絵図の「松前島絵図」系統の国絵図系蝦夷図である。「松前へ渡海した呉服商へ「夷一円之図」を所持していないか尋ねたところ、所有の図を写して差し出す」旨の文章が載り、延享元年(1744)の写図である。図のなかに「海上里数」も記載されている。当時、商人が松前城下で国絵図系蝦夷図を入手したことが判明する。前図と比較して、陸奥の地形がやや正確となっている。

004 蝦夷図    154.0×99.0

三井文庫 島別149
元禄国絵図の「松前島絵図」系統の国絵図系蝦夷図である。「海上里数」を記載している。003図と同様の図である。

005 蝦夷之図 154.2 × 100.8

   三井文庫 島別146
元禄国絵図の「松前島絵図」系統の国絵図系蝦夷図である。「海上里数」を掲載し、003 図と同様の図である。

006 松前蝦夷之図 203.3 × 93.0

弘前市立弘前図書館「伊東家文書」 KF290.3-17
寛政年間(1789~1800)以降になって、主として津軽地方で作成されたと推測される図形
である。沿岸各所に異常なほど多くの岬が多数突き出ているのがこの系統図の特色である。
書き入れも多く、「此辺寛政元年夷狄騒擾ス、人多殺害ス」、「子モロヘ寛政四年ヲロシア人来リシトキ往返船カヽリセリ」などと記している。「寛政十一己未年春二月、松前函館於鎮台図之、伊東祐綏?」と記載がある。寛政11 年(1799)の写図である。

007 松前之図 80.8 × 132.7

もりおか歴史文化館「南部家蔵書」史35-5-048
寛文9 年(1669)から同12 年にかけて和人とアイヌ民族との間に大規模な闘争が起こった。
これを「シャクシャインの蜂起」または「寛文蝦夷蜂起」などと称されている。このとき幕命によって津軽、南部、秋田の3 藩に松前藩の救援をさせることにしたが、南部、秋田の2 藩は渡海せずに終わった。本図は南部藩主旧蔵書のなかにある図で、この蜂起に関する最も古い蝦夷図の1 枚である。西から東にかけて大きな湾状の石狩川をもつ半島状の陸地が蝦夷地である。東海岸にそって松前から「亀田・くんぬい・しらおい・むかわ・うんへち・くすり・あつけし」などの地名が列記されている。またアイヌのリーダーであった「鬼菱・しゃむしゃいん」の名も見える。北東に「らっこ嶋」があるが、これは千島列島のウルップ島のことである。「田名部より上申松前絵図、寛文十一年七月廿八日」と記載されている。

008 松前犾之図 100.8 × 78.7

宮城県図書館 M291- マ1
007 図と同様に「シャクシャインの蜂起」に関わる蝦夷図であるが、007 図と異なり、半島状の陸地が南側に大きく傾く図形に変更されている。また、東北地方北部が大きく表現されているが、この系統図では珍しい図形である。西側に「唐戸嶋」(カラフト島)が描かれ、その北側には「らっこ嶋」が見え「松前より六十日路」と記す。

009 松前犾之図 41.2 × 58.0

宮城県図書館 M291- マ1-2
本図も「シャクシャインの蜂起」に関わる蝦夷図であるが、津軽地方の下北半島が大きく描かれている。「石苅川(石狩川)広サ四百間程、舟路此間三日路」とある。この蜂起の主要な人物である「鬼飛師(オニビシ)・沙武者院(シャムシャイン)」の名も書かれている。

010 松前西蝦夷絵図 60.0 × 88.3

市立米沢図書館「林泉文庫」R045.1-Ma
「シャクシャインの蜂起」に関わる蝦夷図であり、009 図に似るが、大きく異なる部分が多い。それは「からと嶋」の西側に大きく「韃靼国」が現われていること、「らっこ嶋」が「小人嶋とも云う」と架空の島に見立てられていること、津軽の「外戸ノ浜」が大きく突き出していることである。

011 蝦夷図 151.2 × 80.3

致道博物館
「シャクシャインの蜂起」に関わる蝦夷図であるが、前図とは異なり、北から南へ真っ直ぐ棒状にのびる半島図である。このような図は本図以外には知られていない。南端近くに内浦湾があり、西側の北部に見える石狩川は、陸地の中央を南に流れて「しこつの沼」に達している。東側の沿岸は「亀田・ゑとも・とかつ・くすり・あつけ石」などがあり、西側の沿岸には「上之国・すつゝ・てしほ・そうや」などが見える。離島として「小嶋・大嶋・おくしり嶋・るいしん嶋(現利尻島)」などが見えるが、千島の島々やカラフト島は描かれていない。

012 蝦夷図 102.5 × 102.0

北海道大学附属図書館 図類622
蝦夷地は古くから「蝦夷ケ千島・千島のえぞ」などと呼称されたことが記録に見えるが、それは蝦夷地周辺が多数の島々からなると考えられたからであろう。それを図化したような図である。
中央の島々の集合体が蝦夷地本島で「石かり川・てしほ川」があり、地名は「原口・上国・おとへ」などがある。北側には「らせうわ・らつこく嶋」が見え千島列島を指す。東の海には「はたかしま・大こく嶋・いんす嶋」など架空の島々が描かれている。

013 松前蝦夷地絵図 113.0 × 96.0

北海道大学附属図書館
図類647 北から南へ大きな半島状の蝦夷図であるが、同様の地図は他に知られていない。
東は「白いと」(知床)まで、西は「てしほ」(天塩)までの地名が記載される。西から「石かり川」が流れ、北部から大川(天塩川か)と合流して「水海」となる。西側の海には「小嶋・大嶋・るいしん嶋(現利尻島)・唐戸嶋・ラッコ嶋」は分かるが、「ちやうれい嶋」は不明であり、「コラフト嶋」はカラフト島であろう。

014 松前夷人嶋絵図 61.0 × 79.0

北海道大学附属図書館 軸物66
これも半島図であるが、013図と同様にほかに所蔵を聞かない図である。半島の中央部に沿って朱線を引いて東西蝦夷地に分け、それぞれに地名を記載している。本図の大きな特色として29 か所に松前藩重臣名とその知行地を明記することである。知行地とはアイヌ交易のための「商場」として家臣に与えた地域であり、これが後に「場所請負制度」に代わっていく。寛政元年(1789)の写しであるが、作成はもっと古い時期であろう。

015 蝦夷古絵図 89.2 × 150.7

宮城県図書館 伊217.09-2・M2-10
東西に広がる大陸のように見える特異な図形の蝦夷図である。石狩川は西から内陸部の中央を横断して東側のシコツに流れ込んでいる。「箱館~ 百軒余。亀田~ 御番所、六七十軒。石カリ大川~ 西ノ方ニ運上屋アリ、鮭多シ、船出入自由。材木沢山ニシテ杣二三千人モ入」などと豊富な記載がみられる。

016 蝦夷島全図 177.4 × 111.0

北海道大学附属図書館 軸物28
飛騨国下呂郷(現岐阜県下呂市)出身の飛騨屋武川久兵衛の旧蔵図である。飛騨屋は元禄15 年(1702)、蝦夷地へ進出し、享保4 年(1719)から木材伐採を請負った。その後、安永2 年(1773)から蝦夷地各所の場所請負人となったが、寛政元年(1789)、クナシリ・メナシの蜂起が起こり、責任を問われ蝦夷地から撤廃した。作成年代は不詳であるが、「亀田番所・熊石番所」の記載がある。千島はクナシリの周囲に島々が見え、東側に「唐太地」がある。原図は岐阜県歴史資料館「飛騨屋久兵衛家文書」にあり、ここに揚げる図は模写図である。

017 蝦夷松前津軽南部沿岸之図 133.3 × 111.0

弘前市立弘前図書館「岩見文庫」GK290.3-19
古い図形をもつ蝦夷図であるが、津軽海峡(江戸期にはこの名称はない)に難所といわれた「白神の潮・中の潮・竜飛の潮」の3 潮流を描写している。松前城下には城の絵を描き、江指(江差)には「番所」、亀田には「此所昆布船積」とある。また、そうや(宗谷)には「松前殿商売所」と記載する。西側には小嶋・大嶋・奥尻嶋・てうれ・りいしり・れふんしり嶋があり、東側には、らつこ嶋・くなしり嶋の次に架空の「女嶋」も見える。

018 松前蝦夷絵図 76.8 × 78.5

千秋文庫博物館 NO18
秋田藩主旧蔵図である。蝦夷地の図形は017 図と同様である。図中に「和人地50 里の間には村数60 余、民家5 千余の和人が住む」という意味の文言がある他、西蝦夷地ソウヤまでの里程320 里余、東蝦夷地アツケシまでの里程300 里余と記している。西側の海には実在の島々が描かれていると同時に「奥カラフト」という架空島があり、東側の海にも実在の島の他に「銀嶋・女嶋」という架空島も見える。また、「北高麗」と記すのは、当時の山丹・満州地方を指すものである。

019 蝦夷地絵図 44.4 × 61.2

徳川林政史研究所
32-197 他に類図をみない蝦夷図である。蝦夷地の東側半分はクスリ(現釧路市)、悪消(現厚岸町)周辺を描写して、歯舞群島・色丹島付近を詳細に描いている。「ヒロタン」は現在の「色丹島」であろうか。内陸部に2 つの大川あり、1 つはイシカリ川であるが、もう1 つは不詳である。「松前」には、「仙台・南部・津軽・松前」が記されているが、これは文化年間の東北諸藩と松前藩の蝦夷地警備を示している。

020 蝦夷千賀嶋之図 55.8 × 119.5

市立米沢図書館「岩瀬家文書」704
蝦夷地は特異な図形をもち、内陸部には9 の沼が描写されている。東には歯舞群島・色丹島のほかにクナシリ・ヱトロフの2 島も見えるが、カラフト島の左右に「チカカラフト・タライカ」という架空の島も描かれている。「文化四丁卯年六月写之」とあって文化4 年(1807)年の写図である。類図は他に5、6 点が知られている。

021 蝦夷之図108.2 × 80.7

三井文庫 C580-3
古川古松軒は備中国新本村(現岡山県総社市)出身で、幕府老中・松平定信にも仕えたことがある地理学者である。天明8 年(1788)5 月、幕府の巡検使に随行して松前に渡海し、1か月間、和人地へ滞在した。このとき、松前藩所有の蝦夷図を基にして作成した図である。古松軒自筆図は函館市中央図書館に所蔵されるが、本図は、江戸帰着後、再び作成したものである。
署名と印があり、あるいは本図も自筆かもしれない。なお本図は幕府の若年寄・堀田正敦の旧蔵図でもある。周囲に書かれている記事は、松前渡海の様子、鬼熊の出没、商船の往来、蝦夷錦の渡来、義経伝説、などである。

022 蝦夷図115.1 × 87.3

徳川林政史研究所 129-34
本図も古川古松軒の蝦夷図であり、江戸帰着後に写した021 図と同じ図であるが、周囲の記事は少し改められている。古松軒は、江戸帰着後に紀行文の執筆にかかり、翌寛政元年(1789)、『東遊雑記』を著わして、東北・蝦夷地の様子を詳細に紹介している。

023 蝦夷地図90.5 × 156.5

東北大学附属図書館 狩3-9264-1
蝦夷地の図形は、東西に異常に細長いが、岬や半島はそれらしくなって来つつある。釧路周辺が詳細であり、歯舞群島・色丹島から千島列島も詳しく描写されるようになった。一方、カラフト島周辺は依然として不明な部分があり、「マヘサンタン・ウシロサンタン」が描かれ、さらに「ツフカタ・サハリイン」なる島も描かれている。この系統図を仮に「掌覧図」と呼称したい。

024 東山道陸奥松前及方州掌覧之図 58.0 × 74.0

弘前市立弘前図書館 W291.1-9
023 図と同じ「掌覧図」であるが、説明文の中に「寛政元年」(1789)の文字がある。蝦夷地の産物を挙げるのが新しい試みであり、カラフト島のまわりに「マヱサンタン・ウシカサンダン・ツブカタ」も見え、他に「韃靼属萬譲」、(満州)、「牟須久波牟」(ロシヤ)の文字も見える。

025 東山道陸奥松前及方州掌覧之図 55.7 × 78.3

八戸市立図書館 EZ-605(11-9-7)
024 図と同様の「掌覧図」である。八戸藩旧蔵図である。

026 東山道陸奥松前及方州掌覧之図 40.5 × 83.0

弘前市立弘前図書館「伊東家文書」KF290.3-10
024 図と同様の「掌覧図」で、寛政9 年(1797)の写図である。

027 蝦夷地図82.4 × 125.2

宮城県図書館 KM390- フ1
024 図と同様の「掌覧図」であるが、文化5 年(1808)の仙台藩によるクナシリ島・エトロフ島の警備に関わった役職・人名を詳細に記載することが本図の特徴であり、この年代になってもこのような図が使用されたことが判明する。

028 蝦夷嶋之図38.3 × 57.4

弘前市立弘前図書館「牧野家文書」KE290.3-7
「掌覧図」であるが、津軽藩士が持ち帰った図のように見受けられる。「マエサンタン・ウシロサンタン・ツブカタ」などの架空の島々が描写されていないところが、新しい図といえようか。

029 松前蝦夷地之図  138.0 × 180.0

東北大学附属図書館 狩3-9300-1
大型の蝦夷図であり、「寛政四年壬子年見分」と記されており、寛政4 年(1792)の作成である。寛政3 年から4 年にかけて、幕府による御救交易が実施された時期であり、最上徳内、田辺安蔵、中村小市郎、小林源之助等によって調査されたときである。蝦夷地の図形は実地とは程遠く、この時期にこのような図形であるのが不思議である。説明文は詳細であり、各地への方位を記し、夷人詞・サンタン詞・満州国言葉の単語と和訳を載せている。稀覯図である。

030 松前渡海之絵図  172.0 × 107.5

千秋文庫博物館 NO11
秋田藩主旧蔵図である。書き入れが多くあって、「大嶋~ 寛政己年迄五十年余焼ルナリ。カラフト島(万仲国と記載)~ 寛政丑年異国ヲロシヤ人来リ、松前江渡海之海辺写取ル。ノカマユ・子ムロ~ 此処ヘ寛政七年四月中、ヲロシヤ人着岸アリ、同所越年」などと記している。よって寛政7 年(1795)以降の写図と推定されるが、珍しい図である。

031 日本遠近外国之全図149.0 × 116.5

仙台市博物館
天明2 年(1782)に仙台の経世学者・林子平が作成した自筆図である。日本国を中心とした周辺を描く図であるが、大きな特色がある。1 は、蝦夷地・カラフト島・千島列島の図形である。明らかに元禄国絵図「松前島絵図」系統の写しを元にしている。但しカラフト島は大きく修 正されている。2 は、朝鮮から黒竜江方面に向かう沿岸線はなく、僅かに1 本の曲線が引かれ、「ヲランカイノ地」と記されること。3 は、図中の日本国に経緯度線が引かれていることである。
日本図のなかに経緯度線が引かれるようになるのは、宝暦4 年(1754)頃からである。本図はさらに改訂され、天明6 年になって、『三国通覧図説』の付図の1 枚「三国通覧輿地路程全図」となって刊行を見ることになる。

032 蝦夷地并異国境絵図 87.3 × 115.3

徳川林政史研究所 129-34
幕府老中・田沼意次の政策によって計画実施されたものに蝦夷地開発計画があった。天明5年(1785)4 月、蝦夷地に到着した幕府調査隊は東西の二手に分かれて、東はクナシリ島・エトロフ島、さらにウルップ島に達した。西は宗谷からカラフト島へ渡り、島の南部を調査した。
しかし、調査は翌6 年10 月になって打ち切りとなった。このときの調査報告書というべき著作が『蝦夷拾遺』である。調査によって作成された図が本図である。日本国を中心として蝦夷地を含む北辺、さらに中国・朝鮮・黒竜江からカムチャツカまでの広範囲を描写している。
図の大きな特色は、蝦夷地が現在の北海道を彷彿とされる図形であること、千島列島が初めて一直線に並んだことである。しかし、カラフト島は不正確な図形であった。

033 蝦夷図       96.7 × 101.2

京都大学附属図書館「室賀文庫」YG21/5-34
この図も天明調査隊による作成図である。蝦夷地を中心とした北辺に重点を置いた描写となっている。「所図至本蝦夷地クナシリ島ヱトロウ島ウルツフ島及ヒカラフト島之半者粗量天度正見地理而書之其他者使蝦夷人山丹人赤人ホ画或用土作地形建串論其地分境以書之不可敢足信用也、天明六丙午年御普請役」の文言がある。右下に和人地の拡大図も載る。同じ図は国立公文書館にも所蔵されている。

034 魯西亜国図     80.8 × 93.7

北海道大学附属図書館 図類1319
寛政4 年(1792)9 月に根室へ入港したロシア使節・ラクスマン一行の持参した図と云われる「ロシア図」である。このとき、漂流民・大黒屋光太夫も帰国した。図は、ほぼ円形状で、西はベテルボル、モスクワから東はアリューシャン、アラスカまでを描く。内陸部にはリウヱナ川・ヱニセイ川・レナ川が描かれ、レナ川上流から下流にかけてと、ヲホツカから千島列島、カムサスカ周辺が詳細である。この図はラクスマン来航の際、諸用向を勤めた根室場所請負人・村山伝兵衛が所有していた図で、「村山」印がある。ほかに所蔵することを聞かない図である。


B袋


035 莫斯哥亜魯斉亜地理図     71.3 × 80.0

北海道大学附属図書館 図類662
ロシアからの漂流民・大黒屋光太夫が深く関わった図と云われるものであり、034 図が本図の作成に密接に関連するという。図の範囲は、西はロシア国からシベリアを経てカムチャツカ半島に至り、南はインド国から東南アジア、中国、朝鮮に至る。カラフト島から蝦夷地、千島列島、日本国も描写されている。とくにロシア国の地名が詳細である。蝦夷地の図形は天明8 年(1788)作成になる古川古松軒蝦夷図の図形を採用したものと推測される。「伊勢白子船頭光太夫、水主礒吉持参」と書かれている。

036 万国一円図    72.0 × 85.5

弘前市立弘前図書館「伊東家文書」KF290.3-12
035 図と同様の図である。やはり、ロシア国の各所に詳細な記述がみられるほか、蝦夷地、日本、中国の記載も詳細である。

037 三国輿地図 79.0 × 83.0

三井文庫 C430-2
035 図とほぼ同様の図であるが、ロシア国には朱点や朱線がなく、あっさりした描写となっている。

038 日本対岸地図  110.0 × 152.2

秋田県立図書館 庵189
図中に「享和元辛酉年十二月、魯鈍斎利明誌」とあって、経世学者で地理学者でもあった本多利明が享和元年(1801)に作成した日本周辺図である。利明には寛政8 年(1796)にも同様の地図(茨城県立図書館所蔵)を作成しているので、本図はその改訂図といえる。
図の範囲はロシア、中国、朝鮮に囲まれた日本周辺を描くが、カラフト島は半島であり、蝦夷地・日本も外国図を参照したと推測されるものである。図にはロシア文字も記載され、下部には経緯度に関する詳しい解説文が掲載されている。

039 松前地図84.2 × 104.2

北海道大学附属図書館 図類645
寛政3 年(1791)頃、松前藩士で藩医でもあった加藤肩吾自筆の蝦夷図である。ここでいう「松前図」とは、松前市街図を指すのでなく、「松前藩所在の島、松前藩支配の土地」という意味で用いられている。肩吾は寛政4 年のラクスマン来航、同8・9 年のブロートン来航のときに松前藩の応対役を勤めている。蝦夷地の図形は東西に扁平であるが、ほぼ整っていると見るべきであろう。図には各地への里程、東西の支配所として地名とその知行主名が載り、カラフト島の西海岸奥地から東海岸シレトコ岬までと、千島列島のうちウルップ以北の島々が未調査として朱線・朱丸で示されている。

040 蝦夷地全図80.6 × 108.5

古河歴史博物館「鷹見家資料」H402-1
039 図と同様の図形をもつ図で、下総国古河藩(現茨城県古河市)家老・鷹見泉石(忠常)が文化4 年(1807)に写し、嘉永7 年(1854)に追加記載したものである。039 図にはない、数多くの書き入れ文が貴重である。泉石は家老という激務のなかにあって、幕政にも関わりながら、多数の北方図を写したことでも知られている。

041 蝦夷松前図78.5 × 80.0

三井文庫 C580-25
039 図と同様の図であるが、大きな特色として東蝦夷地のウラカワからシレトコ岬先端まで朱線を引くことである。これは寛政11 年(1799)、東蝦夷地の一部を幕府が直轄地にしようとして定めた境界線なのであるが、松前藩からの要請によってこの境界は取りやめとなった。
したがって、この図は直轄地最終決定前の様子を表している図なのである。各地への方位と里程が詳しく掲載され、凡例も記載されている。

042 蝦夷地図140.0 × 96.0

千秋文庫博物館 NO15
秋田藩主旧蔵図であり、039 図と同様の図であるが、カラフト島の図形が従来の図形と全く異なることであり、千島列島の各島々の図形も異なっている。これは従来の図形を他の資料
に基づいて改訂したからであろう。蝦夷地に関する長文の説明が載る。

043 松前蝦夷一円図   96.5 × 97.5

明治大学図書館「芦田文庫」10-39
039 図と同様の図である。カラフト島北部の朱線、エトロフ島以北の朱丸は、039 図に忠実に表現している。海上里数の一覧が載り、津軽地方が詳細であることが本図の特徴である。

044 蝦夷測量図    180.2 × 149.8

弘前市立弘前図書館 W291.1-19
近藤重蔵は幕府に勤め、寛政10 年(1798)以来、エトロフ島の開発に努め、文化4 年(1807)には西蝦夷地沿岸と内陸部を調査したことでも知られる。本図は重蔵の最初に作成した蝦夷図である。図の識語によって享和2 年(1802)の作成であることが分かる。この図には大型図と小型図の2 種があり、ここに挙げる図は大型図である。蝦夷地の図形は驚くほど正確であり、どんな資料に基づいて作成されたか不詳である。カラフト島は貼り紙を用いて半島と離島の両方を表したが、本図では貼り紙が失われている。貼り紙をして半島と離島の両方の図を作成したのは、前年の享和元年(1801)にカラフト島を調査した幕吏、中村小市郎と高橋次太夫である。
重蔵はその図を利用したのである。

045 チンプカ諸島地図 92.5 × 149.3

弘前市立弘前図書館 W291.1-8
044 図と対になる千島列島図で近藤重蔵の作成であり、ウルップ島以北からカムチャツカ半島に至る。説明文によると、列島中のラショワ島に住む千島アイヌが列島の島々を往来し地形を詳しく記憶しているとの事から、米粒を以て島々の形状を作らせ、それを紙に写し採って作成したとの事である。作成年は寛政12 年(1800)である。「チュプカ」とは千島アイヌ語で「東」という意味である。

046 蝦夷地図式 乾   92.5 × 74.3

国文学研究資料館「津軽家文書」22B-1150
044 図と同図で小型図である。カラフト島北部に半島図の張り紙が付され、めくると離島が表れるように工夫されている。津軽藩主旧蔵である。

047 蝦夷地図式 坤  近藤重蔵   46.5 × 74.5

国文学研究資料館「津軽家文書」22B-1151
045 図と同じ図で小型図である。津軽藩主旧蔵である。

048 蝦夷地絵図79.0 × 82.6

三井文庫 C580-4
この図も近藤重蔵の作成になる蝦夷図であり、作成年は記載されていないが、重蔵の蝦夷地での動向や作成図の前後から文化2 年(1805)頃の作成と推測される。長文の説明文があって、最後に「近藤守重手写??」とあり、さらに「堀田文庫」の蔵書印もある。よってこの図は重蔵自筆と思われ、幕府の若年寄・堀田正敦に贈られたものと推測できる。蝦夷地の図形は044図と変わらないが、図中に記載される数多くの書き入れがあり、さらに蝦夷地の中心となる惣守護地として石狩川上流の現旭川市付近に定め、松前や箱館など14 か所に陣屋・番屋を設置すべきとし、内陸部には計画すべき道路線が縦横に引かれるなど、蝦夷地の「開拓計画図」ともいうべきものである。

049 蝦夷地図149.0 × 123.5

国文学研究資料館「津軽家文書」22B-1069
書物奉行に就任した近藤重蔵が、文化6 年(1809)に作成した最後の蝦夷図である。蝦夷地に関わる説明文が載り、カラフト島の図形は最新である。また図中に緯度線を引くのも新しい試みである。周囲に数多くの地名・里程の一覧を載せている。津軽藩主旧蔵である。

050 蝦夷地全図    151.4 × 120.5

古河歴史博物館「鷹見家資料」H403
049 図と同様の図である。近藤重蔵作成の図を古河藩家老・鷹見泉石が、文化8 年(1811)
に正確に写し取ったものである。泉石は勤務のなか、数々の北方図を写し取ったことが知られている。

051 松前絵図159.0 × 148.7

秋田県公文書館 県C-363
図のなかに作成の経過が記され、それによると種々の資料に基づいて作成した旨が書かれ、「文化三寅秋制図成、羽州産草莽之臣、岡部牧太秀緒」とある。岡部牧太は出羽国(現秋田県)出身らしいが、文化3 年(1806)に本図と次の052 図を作成した以外に経歴は分かっていない。
ただこの図の経過や図形からみて、蝦夷地では近藤重蔵と行動を共にしていた気配がある。図は近藤重蔵作成の享和2 年(1802)図と同じ図形をもつが、内陸部は空白である。そしてカラフト島だけは、何故か大陸に接続する大きな半島として描いている。秋田藩旧蔵図である。

052・053 チュブカ諸島之図 北108.9 × 60.6 南81.1 × 78.5

秋田県公文書館 県C-354、県C-357
この図にも作成由来の説明があり、最後に「寛政十二庚申七月廿八日、岡部牧太秀緒」とある。
この図もまた近藤重蔵作成の「千島列島図」と同図である。そればかりか、作成年月日までも同じなのである。わずかに異なるのは、図を2 枚に分けて描写していること、作成由来の説明文が重蔵と少し異なる部分があることだけである。「チュプカ」とは、千島アイヌ語で「東」という意味である。秋田藩旧蔵図である。

054・055 チュブカ諸島之図 北87.5 × 55.0 南79.0 × 75.4

秋田県公文書館 県C-355、県C-356
052 図・053 図と全くの同図である。わずかに作成由来の説明文に小異があるだけである。この図も秋田藩旧蔵図である。

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