解 説
一 奇工方法(きこうほうほう)
[京都大学附属図書館富士川文庫所蔵、キ・一九] 『奇工方法』は一と二から成っている。墨書である。作者や成立年は不明であるが、使用している用紙が『捜錦閣』の木版刷りの掛紙であるところから、幕末から明治にかけて成立したものと思われる。作者は不明であるが、医者か学者等であろう。『奇工方法』の名は、あるいは曲直瀬道三の『奇効方』(六冊)にちなんだものであろうか。曲直瀬道三(一五○七―一五九四)は戦国時代に生きた医師で、京都に生まれ、足利学校に学び、足利義輝や細川晴元等に接し、京都に「啓迪院」を創設した。全国に広くその名声は知られており、医学書も多い。その一つに『奇効方』があり、医学に係わる諸事例が著わされており、『奇工方法』の名付くところになったかも知れない。純粋な処方集というよりは、庶民の日常生活のために必要な便利帳とも言える内容である。
二 諸家妙薬集(しょかみょうやくしゅう)
[京都大学附属図書館富士川文庫所蔵、シ・一九○] 『国書総目録』(岩波書店)によれば、医学書に分類される。二巻一冊からなる板刷本で「■■藏方(オントクゾウホウ)」の別称がある。成立は天保七(一八三六)年である。作者は不明。版元は日本橋須原屋(切絵図の版元で著名)と芝の岡田屋となっている。他に、東京大学総合図書館鶚軒文庫、杏雨書屋が所蔵している。主要な病気を治療するための処方を集成したものである。当時の主要な病気が整然と整理されていて、それらの病気に有効な生薬が列挙されているのが大きな特色と言えよう。
三 古方便覽【附・腹候圖】(こほうびんらん)
[国立公文書館内閣文庫所蔵、一九五・一一] 二巻二冊の医学書。作者は六角重任。吉益東洞の校閲となっている。本書で採用したのは、国立公文書館内閣文庫蔵本で、天明二(一七八二)年版の板刷本である。巻末の【腹候圖】は、中国版『腹證奇覽』から抜粋・掲載したものと思われる。 作者六角重任について『医家人名辞書』(竹岡友三著、一九九六年に東出版において復刻)は、 「字毅夫、河内ノ人、後大坂に住ス、著書トシテ『古方便覽』『疾醫新話』等ガアル」 とある。 校閲者の吉益東洞[元禄十五―安永二(一七○二一七七三)年]、名は為則といい、字は公言、通称周助(周介)という。元は畠山姓を名乗っていたが、京にて医業がふるわず、かつて曽祖父の政慶が、その身を寄せた外科医吉益半笑齋から吉益姓を名乗ることを許されたことがあったので、それに因んだ。『傷寒論』の研究に深く精通し、後に禁裏の侍医山脇東洋と親交し、著名となる。著書も多数あり、吉益東洞についての研究論文も多数ある。 『古方便覽』の著者六角重任との関わりは不明であるが、師弟関係であろうか。この資料は、日本各地の多くの図書館で所蔵されている。 約二百種類以上の処方に対応する約六百種類の病気の治療方法が列挙されていて、非常に興味深い内容構成である。また、これらの処方を構成する生薬の製造方法、分量等も明記されていて、きわめて実用的な薬方書と言えよう。
四 家傳醫案抄(かでんいあんしょう)
[国立公文書館内閣文庫所蔵、一九五・三一三] 『国書総目録』(岩波書店)によれば、医学書に分類されている。二巻二冊からなる。上巻、下巻ともに墨書で、それぞれ筆者が異なっている。この資料は、江戸時代の初期の寫本とされている。 約三百七十種類以上の病気を治療するための約百六十種類の処方が枚挙されていて、非常に有用な薬方書である。
五 古今枢要集(ここんすようしゅう)
[国立公文書館内閣文庫所蔵、一九五・四] 『国書総目録』(岩波書店)によれば、別称『古今枢要集口傳』ともいう。三巻三冊から成り、墨書である。医学書に分類されている。内容は金瘡、つまり、戦場での戦いに際して受けた刀、鉄砲、弓矢等による肉体の損傷の治療方法等を詳しく記した医学書である。局部を切開して縫合する医療技術の知識が乏しかった当時にあっては、生物的な薬物を服用する方法が主要になっている。この資料は、江戸時代の初期の寫本とされている。